ryukyutokyoのブログ:JAZZと哲学と…

DJ.PANK_kunryu (Dj.薫琉)です。東京ヴェルディと沖縄をこよなく愛する、酔っ払い🥴パンクスです。1955年3月新潟市生れ新潟高校ジョリー・チャップス、上智大探検部出身。40年間勤務した職場を大怪我、肝機能障害、糖尿病、過緊張症で退職しました。現在、アルバイトをしながら療養中です。ゴールデンカップス他GS、freeJAZZ、ムードコーラス歌謡

2007-08-01から1ヶ月間の記事一覧

阿部薫コレクションの一部です

阿部薫コレクションのほんの、一部ですが…、聴き終わるのにどれくらいの体力が必要だろうか。 明日、挑戦してみよう。

ITとカーストインド・成長の秘密と苦悩:伊藤洋一を読む

なかなか、面白い興味深い本だった。伊藤洋一はTVで見るというより、 ポッドキャストで良く聴いている。 ジャーナリスト経験、ニューヨークでの為替ディーラーの経験で、的確な経済情勢の分析を身近な視点で語ることができると言う、稀有な存在であると思う…

高柳昌行の“侵蝕”を購入した。

大阪に出張だった。帰りの新大阪の新幹線駅で広島ラーメンを食べた。 広島ラーメンとは初めてであったが、麺が滑らかで、スープも懐かしい中華そばの味がした。美味しい。一度試してみてください。 新宿で高柳昌行 New Direction Unit/侵蝕(Eclipse)(PSFD-…

休日にはメールを開かない…

休日にはメールを開かない…と、高城剛さんがラジヲで言っていました。旅に出たら、全く忘れてしまう、とも言っていました。 曰く、至言のように思います。最近では、家にいるときはあまり、PCも開かないようにしています。 そんなことを言うと「いったい何時…

とりあえず、書きたいことが一杯あるので…脳内と私の死亡推定日を~

”お知らせいたします。” 診断書 石橋薫さんは生まれて52年と176日経過しています。 石橋薫さんの死亡推定日は、2023年3月9日 です(残り15年) 67歳でその生涯を閉じます ・尊敬する「イヤイヤ、ドウモドウモ、ソレハソレハ」の野坂恒如(すけゆき)さんのこと…

1970年私のジャズの始まり~…新潟ジャズ史の発祥「ジャズファン ママ」

1970年(昭和45年)は私にとってのジャズの始まりの年でもあった。新潟市の古町六番町に「ジャズファン ママ」が開店した年でもある。 その頃、新潟市にはジャズ喫茶と言えば「スワン」しかなかった。たぶ2・3年前に開店していたのだと思う。私も、高…

久々に雨が降っています~往く夏を惜しんで…

往く夏を惜しんで… しばし、ボーッとご覧ください。 http://videocast.yahoo.co.jp/player/blog.swf?vid=288230376151740093

ジャズ喫茶スワンで聴いた「インディペンデンス」の衝撃!!

実は、「高柳・阿部薫デュオ」が西堀のマンハイムで行なわれたときは、私はまだ、二人の音を聴いたことがなかった。 しばらくして、古町通りの裏通りの二階にある(当時)、ジャズ喫茶スワンで「インディペンデンス」のLPを聴き、高柳ジャズに頭を強打された…

残暑お見舞い申し上げます。

残暑お見舞い申し上げます。 しばらく、ご鑑賞を… http://videocast.yahoo.co.jp/player/blog.swf?vid=288230376151765615

東京の夕焼けには地方があった…

帰りの中央線から、右手に夕焼け。そして左手に半月を観た。 なぜか、久々の夕焼けを見た気がする。気がつかなかったのか…。 中央線から観た、東京の夕焼けには地方があった。地方の匂いがしたわけではない。 半月を観たのも、久々である。半月を観たのはい…

古町にあふれる「高柳昌行・阿部薫デュオ」の手書きの張り紙…

1970年8月30日、新潟市の古町(正しくは新潟市西堀通り旧小林百貨店向かい)の喫茶マンハイムで、高柳・阿部薫のデュオが開催された。暑い暑い!日であった。乾いた風が吹いていた。 当時としたら画期的な出来事である。しかし、当時、私は15歳、高…

ジャズと初めてであった日…

私のジャズとの出会いは、たぶん1969年の35回転シングルレコードの購入だろう。 パストラル / 渡辺貞夫カルテット(増尾好秋g,鈴木良雄b,渡辺文男ds):ジャンクで行なった演奏のシングルカットである。裏表両面でも20分弱の演奏は収め切れていない…

下條温泉郷 コスモスの湯に浸かってみた…

八月十六日(木)、昨日に続き、日帰り温泉に行く。本日は家内と二人のみ。 下條村といえば峰竜太である。知らない人は知らない。知っている人は知っている。そんな小さな村である。飯田市からは車で30分弱くらい。天竜峡を過ぎて直ぐである。 コスモスの湯…

南信州の売木村、こまどりの湯を訪れる

長野県の下伊那郡売木村(うるぎむらと読みます)を八月十五日(水)に訪れた。信州は平谷村をまわって売木まで行く。平谷には「ひまわりの湯」があるが、今回はパス。一度行ったことがある。満杯でイモ洗いであった。 今回も隣接する「道の駅」の駐車場は満…

閑話休題~鬱…戦うしかないのか

旅をしていると、ふと気づくことがある。 一人旅の人が意外に多いのである。温泉を訪れる。リュックを担いだ人に出会う。駅にいる。孤独な面持ちの方々に出会う。みな、一様に鬱を秘めている。 鬱と戦うとき、よくものの本や情報で「欝で旅に出ると鬱が酷く…

飯田の元気!と勇気が出る!「貧乏神神社」~

八月十三日(月)長野県飯田市も暑い!とにかく暑い!でも、夜は涼しいのである。とにかく、涼しい~。やはり、天然クラーです。 飯田市といえば、最近話題の貧乏神神社を訪れる。主宰の櫻井鉄扇氏と奥さんに会う。 色々、言われていますが、私は勇気と元気…

鳥居平やまびこ公園でキャッチボール~

八月十二日(日)塩嶺高原を出発し、近くの鳥居平やまびこ公園へ行く。とにかく、広い場所で何でもあり、とにかくスペースだけは…。 展望広場まで上り、諏訪盆地を眺めながら、子供たちとキャッチボール。もちろん、諏訪湖も良く見える。涼しいが、日差しが…

塩嶺高原で人工衛星を見る…

八月十一日の夜は塩尻の塩嶺高原で一泊した。岡谷のインターからは近いのだが別荘地への道は暗くてわかりにくいのが難点だ。 岡谷インター近くの讃岐うどんの店(諏訪寄り)で夕食を済ませ、八時半ごろに到着。熱暑、猛暑の中、さすがに高地だけあり、別天地…

中信から南信へ…(諏訪湖畔の片倉館へ)

八月十一日から旅に出かけた。土曜日、中央道は夜明けから大渋滞である。渋滞を避けるため、午後二時に出かける。 半日で大渋滞は解消されるのだろうか。たいした渋滞にも掛からず、四時過ぎに諏訪湖畔の片倉館に着いた。 片倉館といえば『ロマン漂う洋風建…

マイルスをじかにこの耳で聴きたかった!

現代に重くのしかかる問題の数々、それはそれで重大な問題なのですが、過去においても繰り返し繰り返し起こってきた問題でもあります。 私の場合は青春時代が70年代、当時も重い問題がたくさんありました。当時、モダンジャズも新しい変容を遂げ、モード・…

排除の論理と知力の劣化

また、ホームレス襲撃事件が多発している。排除の理論の横行と知力の劣化がもたらした事態である。 昨今の状況を視れば、むべなるかなである。格差が広がり、他国の戦争に平気で加担する。挙句の果ては、「教育改革だ、憲法改悪だ」である。 真っ当に、事態…

泣けること

泣けることが、すばらしいことだと、思う、今日この頃です。 感情の波の満ち干きが、あるとき、黒い岩礁にぶつかったときの大きな白波の散らばりのような、そんな感情の起伏の涙が、すばらしいと思います。 できれば、自然の雄大な変化の中で、感情を突き動…

プラス思考とマイナス思考のはざま

そもそも、その「はざま」なるものが在りや、無しや、理解ができていません。その状態で、マイナー状態とメジャー状態のはざまは何とか実感できます。ただ、やはり、どこから、メジャーでどこからマイナーかといわれると少し難しいですね。 日々の生活や仕事…

一日の始まりの終わり

もちろん、「すべての終わりの始まり」(キャロル・エムショウィラー)の盗用である。休日は、思考停止しなくてはならない。しかし、思索ではないのだ。休日に、日常のことを考えてはいけないのである。私は、休日にパソコンを開くことは殆どしない。 本来、…

“うつ病のこと”を考える

うつ病を考える。 私も経験者である。そのように書くことには若干の勇気がいることも事実だ。しかし、事実は事実。謙虚でありたいと思う。 一度目は今から23年前、症状は家にたどり着かないこと。当時は吉祥寺から八王子に通っていた。八王子駅から中央線…

辛くなったときは、「人生に意味なんてありません…(ひろさちや)」

辛くなったときのお薬を紹介いたします。『「狂い」のすすめ(ひろさちや)集英社新書』。とにかく辛くなった時には読んでください。損はしません。生きることが辛くなった時のお薬です。何か、人生がつまらない時のお薬です。薬ですので、かなり、効きます…