古町にあふれる「高柳昌行・阿部薫デュオ」の手書きの張り紙…
当時としたら画期的な出来事である。しかし、当時、私は15歳、高校一年生であった。古町には白地に墨字の張り紙が溢れていたことを思い出す。
私は、当時バス通学、古町辺りで乗り換えて学校町まで通っていたが、帰りは古町をぶらつきながら帰ったものである。あのビラは先鋭的な輝きを持っていた。
結局、マンハイムへ行くこといは無かった。お金が無かったのだろう。なにか、後ろめたさがあったのだろうか。
あの、ビラを作成したのは誰だろう。マンハイムは間章氏の親御さんの経営するお店だったので、間章氏と彼の仲間たちが作ったのか。それとも、地元の野坂恒如(のさかすけゆき氏、野坂昭如氏の御実兄で新潟県庁にお勤めの傍ら、新潟のジャズの振興や若き不遇なジャズマンを物心両面で支援された。ジャズ評論にもお力を入れておられた)の力添えもあったのだろうか。
この演奏に遭遇できなかったのも私の大きな心残りのひとつであるが、後悔ではない。お金が無い、高校生であった、仕方の無さだったのである。