“うつ病のこと”を考える
うつ病を考える。
私も経験者である。そのように書くことには若干の勇気がいることも事実だ。しかし、事実は事実。謙虚でありたいと思う。
一度目は今から23年前、症状は家にたどり着かないこと。当時は吉祥寺から八王子に通っていた。八王子駅から中央線に乗り、ふと気がつくと御茶ノ水の駅。あわてて乗り換えると、また気がつくと武蔵小金井の駅、次には、また、御茶ノ水の駅。何回か繰り返し、何とか吉祥寺に辿り着くのである。
最初は酒のせいかなと思っていた。あまり気にしなかった。ところが、酒を飲んでいないときにも、同じ状態が起こった。ためしに、酒も飲まず、座席にも座らずにつり革に摑まってたってみた。すると、武蔵小金井の駅を過ぎるころに、急に意識がなくなってしまうのだ。
あるときは、吉祥寺の駅に辿り着き、急に井の頭公園の自分の家が解らなくなってしまったことがある。記憶から飛んでしまったのだ。まるで「タモリの世にも不思議な…」である。何の治療もせず、1年を経て、家庭からスキゾした。なんの反省も無いわけではない。ただ、当時は“うつ病とは気がつかなかっただけである。”後に当時の主治医(胃癌の権威で胃癌で死亡)から「それは、典型的なうつ病の症状だよ」と言われたことを覚えている。時すでに遅し、である。
二回目は4年前、今度は睡眠障害を伴う、うつ状態である。1年間と少し続いた。主治医からハルシオンをもらい、なんとか乗り切った。いつも、頭の中に箍が填まった状態。こんなに苦しいものだとは思わなかったが、ホントの軽症であろう。主治医は「ストレスだよ」と言った。そんなものかと、思ったが今は違う。
私の場合の原因は、夢である。夜観る夢ではなく、心に思い描く、さまざまな夢である。そして、現実のプレッシャーからうつになった。23年前も現実のプレッシャーに押しつぶされてスキゾした。
いつまでも、スキゾしているわけにはいかない。夢を思い描くことをやめ、自己の思考力の研鑽に励むしかないのだ、と思っている。プレッシャーを撥ね返し、鋼鉄の自我を確立する。私にとってはそれが今、正しいのだと考えている。ストレスは自覚ができればストレスではないと考えている。ストレスは諦めれば呪縛から解放できるのだ。朝早起きすること、走ること、思いっきり汗をかくこと、泳ぐことで撥ね退けることができる可能性がある。
しかし、簡単にはうつ病から抜け出すことはできないのである。
私も経験者である。そのように書くことには若干の勇気がいることも事実だ。しかし、事実は事実。謙虚でありたいと思う。
一度目は今から23年前、症状は家にたどり着かないこと。当時は吉祥寺から八王子に通っていた。八王子駅から中央線に乗り、ふと気がつくと御茶ノ水の駅。あわてて乗り換えると、また気がつくと武蔵小金井の駅、次には、また、御茶ノ水の駅。何回か繰り返し、何とか吉祥寺に辿り着くのである。
最初は酒のせいかなと思っていた。あまり気にしなかった。ところが、酒を飲んでいないときにも、同じ状態が起こった。ためしに、酒も飲まず、座席にも座らずにつり革に摑まってたってみた。すると、武蔵小金井の駅を過ぎるころに、急に意識がなくなってしまうのだ。
あるときは、吉祥寺の駅に辿り着き、急に井の頭公園の自分の家が解らなくなってしまったことがある。記憶から飛んでしまったのだ。まるで「タモリの世にも不思議な…」である。何の治療もせず、1年を経て、家庭からスキゾした。なんの反省も無いわけではない。ただ、当時は“うつ病とは気がつかなかっただけである。”後に当時の主治医(胃癌の権威で胃癌で死亡)から「それは、典型的なうつ病の症状だよ」と言われたことを覚えている。時すでに遅し、である。
二回目は4年前、今度は睡眠障害を伴う、うつ状態である。1年間と少し続いた。主治医からハルシオンをもらい、なんとか乗り切った。いつも、頭の中に箍が填まった状態。こんなに苦しいものだとは思わなかったが、ホントの軽症であろう。主治医は「ストレスだよ」と言った。そんなものかと、思ったが今は違う。
私の場合の原因は、夢である。夜観る夢ではなく、心に思い描く、さまざまな夢である。そして、現実のプレッシャーからうつになった。23年前も現実のプレッシャーに押しつぶされてスキゾした。
いつまでも、スキゾしているわけにはいかない。夢を思い描くことをやめ、自己の思考力の研鑽に励むしかないのだ、と思っている。プレッシャーを撥ね返し、鋼鉄の自我を確立する。私にとってはそれが今、正しいのだと考えている。ストレスは自覚ができればストレスではないと考えている。ストレスは諦めれば呪縛から解放できるのだ。朝早起きすること、走ること、思いっきり汗をかくこと、泳ぐことで撥ね退けることができる可能性がある。
しかし、簡単にはうつ病から抜け出すことはできないのである。