ryukyutokyoのブログ:JAZZと哲学と…

DJ.PANK_kunryu (Dj.薫琉)です。東京ヴェルディと沖縄をこよなく愛する、酔っ払い🥴パンクスです。1955年3月新潟市生れ新潟高校ジョリー・チャップス、上智大探検部出身。40年間勤務した職場を大怪我、肝機能障害、糖尿病、過緊張症で退職しました。現在、アルバイトをしながら療養中です。ゴールデンカップス他GS、freeJAZZ、ムードコーラス歌謡

“うつ病のこと”を考える

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 うつ病を考える。
 私も経験者である。そのように書くことには若干の勇気がいることも事実だ。しかし、事実は事実。謙虚でありたいと思う。
 一度目は今から23年前、症状は家にたどり着かないこと。当時は吉祥寺から八王子に通っていた。八王子駅から中央線に乗り、ふと気がつくと御茶ノ水の駅。あわてて乗り換えると、また気がつくと武蔵小金井の駅、次には、また、御茶ノ水の駅。何回か繰り返し、何とか吉祥寺に辿り着くのである。
 最初は酒のせいかなと思っていた。あまり気にしなかった。ところが、酒を飲んでいないときにも、同じ状態が起こった。ためしに、酒も飲まず、座席にも座らずにつり革に摑まってたってみた。すると、武蔵小金井の駅を過ぎるころに、急に意識がなくなってしまうのだ。
 あるときは、吉祥寺の駅に辿り着き、急に井の頭公園の自分の家が解らなくなってしまったことがある。記憶から飛んでしまったのだ。まるで「タモリの世にも不思議な…」である。何の治療もせず、1年を経て、家庭からスキゾした。なんの反省も無いわけではない。ただ、当時は“うつ病とは気がつかなかっただけである。”後に当時の主治医(胃癌の権威で胃癌で死亡)から「それは、典型的なうつ病の症状だよ」と言われたことを覚えている。時すでに遅し、である。
 二回目は4年前、今度は睡眠障害を伴う、うつ状態である。1年間と少し続いた。主治医からハルシオンをもらい、なんとか乗り切った。いつも、頭の中に箍が填まった状態。こんなに苦しいものだとは思わなかったが、ホントの軽症であろう。主治医は「ストレスだよ」と言った。そんなものかと、思ったが今は違う。
 私の場合の原因は、夢である。夜観る夢ではなく、心に思い描く、さまざまな夢である。そして、現実のプレッシャーからうつになった。23年前も現実のプレッシャーに押しつぶされてスキゾした。
 いつまでも、スキゾしているわけにはいかない。夢を思い描くことをやめ、自己の思考力の研鑽に励むしかないのだ、と思っている。プレッシャーを撥ね返し、鋼鉄の自我を確立する。私にとってはそれが今、正しいのだと考えている。ストレスは自覚ができればストレスではないと考えている。ストレスは諦めれば呪縛から解放できるのだ。朝早起きすること、走ること、思いっきり汗をかくこと、泳ぐことで撥ね退けることができる可能性がある。
 しかし、簡単にはうつ病から抜け出すことはできないのである。

『ストレス』
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
ストレス(stress)は、本来の英単語の意味としては圧力、応力、緊張などがあげられる。この意味から派生して、心身の負担になる刺激や状況によって生じる緊張状態をストレスと呼ぶ。また、ストレスを生じさせる原因となる刺激をストレッサー(stressor)といい、これをストレスと呼ぶ場合もある。