1970年私のジャズの始まり~…新潟ジャズ史の発祥「ジャズファン ママ」
1970年(昭和45年)は私にとってのジャズの始まりの年でもあった。新潟市の古町六番町に「ジャズファン ママ」が開店した年でもある。
その頃、新潟市にはジャズ喫茶と言えば「スワン」しかなかった。たぶ2・3年前に開店していたのだと思う。私も、高校生ながらだいぶ通ったが、なぜか私は「スワン」では落ち着かなかったことを覚えている。
自分も常連の店が子供ながらに欲しかったのかもしれない。そんなときに「ママ」の開店を聞き勇んで出かけた。
新開店の「ママ」は「スワン」とは違い、照明も明るくて広い、充分なライブスペースがあった。音響機材もスワンにも勝るとも劣らないものをそろえてあり、ドラムセットとピアノが用意されていた。当時としては珍しく、照明設備やPAも用意されていたのではないか。
レコードの枚数はスワンには、遥かに及びつかないものの、金銭的には店主の佐藤政良さんはだいぶ苦労をされていたのではないか。
店主の佐藤さんは当時、29歳か30歳くらいであったのだろう。経歴は知らなかったが、ご自分でもドラムをたたく新潟弁(沼垂弁)のキツイ、気さくな人であった。特に「スワン」にはライバル意識を燃やされていたのだろうと思う。
記憶は定かではないが、ジャズスポットとしての初めての出演者は坂本輝トリオではなかったかと思う。当時、坂本氏はワインピアニストと呼ばれていたように記憶する。スタンダードナンバーを中心に演奏したのだが、音の記憶はあるものの何故か不思議と坂本輝氏の顔を覚えていない。全く覚えていないのである。
ここ、「ジャズ ママ」(℡29-0558)で、私にとってはとても偉大な人と出会うことになる。