ryukyutokyoのブログ:JAZZと哲学と…

DJ.PANK_kunryu (Dj.薫琉)です。東京ヴェルディと沖縄をこよなく愛する、酔っ払い🥴パンクスです。1955年3月新潟市生れ新潟高校ジョリー・チャップス、上智大探検部出身。40年間勤務した職場を大怪我、肝機能障害、糖尿病、過緊張症で退職しました。現在、アルバイトをしながら療養中です。ゴールデンカップス他GS、freeJAZZ、ムードコーラス歌謡

菊地雅洋のキラー・オルガンがナイフの一瞬の煌めきのように冴える、凄味ある演奏…:ダンシング・ミスト/菊地雅章イン・コンサート

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 このアルバムは、1970年11月13日、東京、産経ホールにてライヴ録音されました。

 当時の菊地グループはツイン・キーボード、ツイン・ドラムスによるシクステットという編成で、弟の雅洋氏がハモンド・オルガンとエレクトリック・ピアノを主に弾いていました。

 しかし、地方公演のときなどはギャラの関係もあり、菊地雅洋氏と岸田恵二氏が抜け、菊地雅章カルテット、もしくはどちらかがメンバー帯同し菊地雅章クインテットで演奏することもあったようです。

 私が1971年の春に「新潟県民ホール」のコンサートに行った際は、確か岸田恵二氏が抜けたクインテットだったと思います。

 その際には、ホールの殆ど真正面で観たのですが、この二曲の迫力と峰厚介氏のソプラノサックスには度肝を抜かれたものです。

 このアルバムも当時の菊地グループの充実ぶりと迫力を伝えるに余りある、出来栄えとなっています。

 なかでも、「ダンシング・ミスト」に於ける、菊地雅洋氏のオルガンはキラー・オルガンと名づけたい程の煌めきを持っています。

 また、彼のファズ・オルガンは月並ではありますが、1970年4月リリースのマイルス・グループのアルバム「イン・ア・サイレント・ウェイ」のラリー・ヤングを思わせるところがありスリリングです。

 一方、もう1曲の「イエロー・カーカス・イン・ザ・ブルー」で菊地雅洋氏は、最高にクールでナイフのようなエレピを弾かせてくれます。
 
 1970年11月という時を考えれば、当時の日本のジャズ・シーンにおいては全くもって先鋭的なライヴ・パフォーマンスであったと思いますが、当時を懐かしく振り返れば、胸がワクワクし、しかも大変ナチュラルに心にフィットした記憶があります。

 40年経った今でも、この演奏記録は燦然と輝いています。まさにここに常に時代の先端を駆け抜けてゆく菊地雅章氏の凄味があります。

UCCJ-4071
SHM-CD
※発売日:2009/05/27

01ダンシング・ミスト
02イエロー・カーカス・イン・ザ・ブルー

演奏:菊地雅章(EL-P,P) 峰厚介(SS,PERC) 菊地雅洋(OG,EL-P) 池田芳夫(B) 村上寛,岸田恵二(DS)
録音:70.11

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