ryukyutokyoのブログ:JAZZと哲学と…

DJ.PANK_kunryu (Dj.薫琉)です。東京ヴェルディと沖縄をこよなく愛する、酔っ払い🥴パンクスです。1955年3月新潟市生れ新潟高校ジョリー・チャップス、上智大探検部出身。40年間勤務した職場を大怪我、肝機能障害、糖尿病、過緊張症で退職しました。現在、アルバイトをしながら療養中です。ゴールデンカップス他GS、freeJAZZ、ムードコーラス歌謡

マイルスをじかにこの耳で聴きたかった!

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 現代に重くのしかかる問題の数々、それはそれで重大な問題なのですが、過去においても繰り返し繰り返し起こってきた問題でもあります。

 私の場合は青春時代が70年代、当時も重い問題がたくさんありました。当時、モダンジャズも新しい変容を遂げ、モード・グルーヴからエレクトリックフリーにその幅を大きく広げます。

 よく、マイルス・デヴィスが参考と典型にされますが、マイルス、チック・コリアと競演したアイルト・モレイラ(目アイ・耳イアー・踵トゥーと発音するそうです。フローラ・プリムは奥さんです)のその後のアルバムにもよく表現されていると思います。(「フリー」など)

 私は良く考えることに疲れると、JBLでマイルスを聴きます。最近たまたま「アガルタ」と「パンゲア」「We want MILS」を引っ張り出してきて聴きました。星が煌めき、つきが煌々と輝き、風が吹き、音が夜空に駆け上がります。まるで、砂浜で天空の星空を眺めて、星星の囁きあいや、時には雄たけびを風の中で聴いているようです。

 「アガルタ」と「パンゲア」は1975年のマイルスグループの大阪公演の録音なのですが、ソニーフォーチュンとJ.ムトゥーメ、アルフォスター、ピートコージーが大熱演、大好演です。汗が吹き出ます。

 私は1975年と言えば大学の2年生でした。当時は高円寺に住んでいて、友人たちから中野サンプラザでのマイルスグループのコンサートに誘われました。
お金が無かったわけではないのですが行きませんでした。何で行かなかったのか、よく覚えていません。友人たちはちゃんと勿論聴きにいきました。

 彼らは、利口でした。私と違い、当然のことを当然のごとくしただけです。私にはそれができなかった。

 この事実が52年間の人生で唯一の後悔であることは事実です。