ryukyutokyoのブログ:JAZZと哲学と…

DJ.PANK_kunryu (Dj.薫琉)です。東京ヴェルディと沖縄をこよなく愛する、酔っ払い🥴パンクスです。1955年3月新潟市生れ新潟高校ジョリー・チャップス、上智大探検部出身。40年間勤務した職場を大怪我、肝機能障害、糖尿病、過緊張症で退職しました。現在、アルバイトをしながら療養中です。ゴールデンカップス他GS、freeJAZZ、ムードコーラス歌謡

お気に入りJAZZ一挙だし…④

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 昨日は、午後から Muhal Richard Abrams を聴きながら本を読んでいた。

  Muhal Richard Abrams のアルバムはなぜか、いわゆる「癒し」になるのだ。

 Muhal Richard Abrams はシカゴ派JAZZの支柱である。

 1959年の5月にオーネット・コールマン(as)がドン・チェリー(tp)らとともにアルバム『ジャズ来るべきもの』をニューヨークで録音し、JAZZ界に風雲のごとく登場する。

 ジャズ界に大きな衝撃をもたらした。

 今までのコード進行に基づく本来的なインプロヴィゼーションを徹底的に破壊つくす試みを始めたのである。

 この破壊がフリー・ジャズの重要なコンセプトであり、JAZZの新しい方向へのエネルギーの源であり、新しく大きなムーヴメントに繋がっていく。

 この所謂、フリー・ジャズの大きなうねりは、一部の旧来のJAZZに飽き足らないJAZZミュージシャンたちにより、我先にと取り入れられ、巨大なうねりになって行った。

 オーネットコールマンの衝撃的な登場に拠り、1961年には、シカゴで、その影響を受けた、Muhal Richard Abrams (リチャード・エイブラムス:piano)が中心となり「エクスペリメンタル・バンド」が結成される。

このバンドに、シカゴの若いミュージシャンが多数集結し、スリリングなギグを展開していく。

 衝撃とスリルとそして、肌をチクチクと刺すような鋭い刺激。ここから、シカゴ派JAZZが誕生していくのである。そして、数々の名演が録音された。

 そんな数々のコラボレーションとギグのなかで、さらに65年5月、AACM(The Association for the Advancement of Creative Musicians)の活動を開始。エイブラムスはその初代会長をつとめ、若手をこれでもか、これでもかと刺激し、糾合していくのである。

 その中からArt Ensemble of Chicagoが生まれたのである。AEOCの話は、いつか書くとして、これらのMuhal Richard Abrams のアルバムを聴くと、チックコリアのCIRCLEでのギャザリングに相通ずるものを感じる。

 勿論、サークルでのアンソニー・ブラクストンはAACMの重要なメンバーではあったが、彼のコンセプトは「FOR ALT」や「タウンホール1972」で明らかなように、当然ながら、リチャード・エイブラムスとコンセプトは同じである。

 チックコリアはCIRCLEでの、演奏を「ARC」で表現した、サイエントロジーの思想をより具現化したものを目指した、と述べている。

 しかし、サイエントロジーの思想が如何なものかは、知らないのであるが、リチャード・エイブラムスがAACMで行なっていたJAZZ表現と、ともかく共通性を感じるのである。

 リチャード・エイブラムスを聴いた後に、ギャザリングのLPを聴いたのであるが、その感を深くした。CIRCLEの「パリコンサート」も、来週にでも聴いてみよう。