お気に入りJAZZ、一挙出し③:ファラオサンダース
はまっている、ファラオサンダースのアルバムのうち、今、一番気に入っている、ヨーデルJAZZヴォーカルのレオントーマスとの競演作を三枚。
なぜか、ファラオサンダースのCDはショップで、新しいものが出回っている。
コルトレーン亡き後、長い間、理解されず、マイナーな存在に置かれていたのだが、1990年頃からスタンダードナンバーを集めた、
「WELCOME TO LOVE」などをリリースした頃から、一挙に人気が急上昇したのではないか。所謂、JAZZらしいJAZZである。
ファラオサンダースはアルバート・アイラーやアーチー・シェップなどと並んでポスト・コルトレーン三羽烏として常に、新しいJAZZの方向性を模索し、苦悩するJAZZを体現してきたのである。
その頃の最もファラオサンダースらしい、演奏はコルトレーンやアリス・コルトレーンと競演したヴィレッジバンガートのライブや東京公演で明らかであった。
当時のファラオサンダースはコルトレーンの影響を深く深く、受けながらも、ある種の依存から脱却を目指して、咆哮する、テナーを吹きまくっていたのである。
この、三枚はコルトレーンが死ぬ間際に、最後の咆哮を上げていたファラオの姿からついに脱却し、完成したファラオJAZZを堂々と表現しているのである。
スピリチャルJAZZと人は呼ぶのだろう。また、ネイチャーJAZZと呼ばれるのかもしれない。
魂の究極の宇宙をJAZZにて、表現したいとの、ファラオの目論見はともかくとして、ファラオJAZZの一定の完成を見ているのは確かである。
その手助けをしたのがレオン・トーマスであり、ロニーリストンスミス、であり、フレデリックワイツであった。
しかし、JAZZに終わりが無いように、そして生々流転していく社会環境と政治環境と同じに、誰のJAZZにも終わりと果ては無いのである。
JAZZに枠嵌めをするのは簡単だ。しかし、彼がなくならない限り流転の様を負い続けて行きたいと考える。
なぜか、ファラオサンダースのCDはショップで、新しいものが出回っている。
コルトレーン亡き後、長い間、理解されず、マイナーな存在に置かれていたのだが、1990年頃からスタンダードナンバーを集めた、
「WELCOME TO LOVE」などをリリースした頃から、一挙に人気が急上昇したのではないか。所謂、JAZZらしいJAZZである。
ファラオサンダースはアルバート・アイラーやアーチー・シェップなどと並んでポスト・コルトレーン三羽烏として常に、新しいJAZZの方向性を模索し、苦悩するJAZZを体現してきたのである。
その頃の最もファラオサンダースらしい、演奏はコルトレーンやアリス・コルトレーンと競演したヴィレッジバンガートのライブや東京公演で明らかであった。
当時のファラオサンダースはコルトレーンの影響を深く深く、受けながらも、ある種の依存から脱却を目指して、咆哮する、テナーを吹きまくっていたのである。
この、三枚はコルトレーンが死ぬ間際に、最後の咆哮を上げていたファラオの姿からついに脱却し、完成したファラオJAZZを堂々と表現しているのである。
スピリチャルJAZZと人は呼ぶのだろう。また、ネイチャーJAZZと呼ばれるのかもしれない。
魂の究極の宇宙をJAZZにて、表現したいとの、ファラオの目論見はともかくとして、ファラオJAZZの一定の完成を見ているのは確かである。
その手助けをしたのがレオン・トーマスであり、ロニーリストンスミス、であり、フレデリックワイツであった。
しかし、JAZZに終わりが無いように、そして生々流転していく社会環境と政治環境と同じに、誰のJAZZにも終わりと果ては無いのである。
JAZZに枠嵌めをするのは簡単だ。しかし、彼がなくならない限り流転の様を負い続けて行きたいと考える。