ryukyutokyoのブログ:JAZZと哲学と…

DJ.PANK_kunryu (Dj.薫琉)です。東京ヴェルディと沖縄をこよなく愛する、酔っ払い🥴パンクスです。1955年3月新潟市生れ新潟高校ジョリー・チャップス、上智大探検部出身。40年間勤務した職場を大怪我、肝機能障害、糖尿病、過緊張症で退職しました。現在、アルバイトをしながら療養中です。ゴールデンカップス他GS、freeJAZZ、ムードコーラス歌謡

お気に入りJAZZ、一挙出し③:ファラオサンダース

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 はまっている、ファラオサンダースのアルバムのうち、今、一番気に入っている、ヨーデルJAZZヴォーカルのレオントーマスとの競演作を三枚。

 なぜか、ファラオサンダースのCDはショップで、新しいものが出回っている。

 コルトレーン亡き後、長い間、理解されず、マイナーな存在に置かれていたのだが、1990年頃からスタンダードナンバーを集めた、 
「WELCOME TO LOVE」などをリリースした頃から、一挙に人気が急上昇したのではないか。所謂、JAZZらしいJAZZである。

 ファラオサンダースはアルバート・アイラーアーチー・シェップなどと並んでポスト・コルトレーン三羽烏として常に、新しいJAZZの方向性を模索し、苦悩するJAZZを体現してきたのである。

 その頃の最もファラオサンダースらしい、演奏はコルトレーンアリス・コルトレーンと競演したヴィレッジバンガートのライブや東京公演で明らかであった。

 当時のファラオサンダースはコルトレーンの影響を深く深く、受けながらも、ある種の依存から脱却を目指して、咆哮する、テナーを吹きまくっていたのである。

 この、三枚はコルトレーンが死ぬ間際に、最後の咆哮を上げていたファラオの姿からついに脱却し、完成したファラオJAZZを堂々と表現しているのである。

 スピリチャルJAZZと人は呼ぶのだろう。また、ネイチャーJAZZと呼ばれるのかもしれない。

 魂の究極の宇宙をJAZZにて、表現したいとの、ファラオの目論見はともかくとして、ファラオJAZZの一定の完成を見ているのは確かである。

 その手助けをしたのがレオン・トーマスであり、ロニーリストンスミス、であり、フレデリックワイツであった。

 しかし、JAZZに終わりが無いように、そして生々流転していく社会環境と政治環境と同じに、誰のJAZZにも終わりと果ては無いのである。

 JAZZに枠嵌めをするのは簡単だ。しかし、彼がなくならない限り流転の様を負い続けて行きたいと考える。