日本でフリー・ミュージックが評価されないのは、日本には自由の概念がないからである!ギャーテーズを評価せよ!GYAATEES/第一集(I) [Live] を聴く!!
下らない事が続く毎日ですね~
ま、勝手ですけど…
ジャイケルには何の恨みも有りませんが、戦争や事故、病気で亡くなったわけでもなし…チト薬好きが昂じての早世かな?まあ、どうでもいいや~と呟きます。
どうでもよいと言えば先週の国立競技場。石原裕次郎の何??回忌法要だとさ~トホホでありますね。いいオヤジが「ユウぅちゃ~ん!!」だと。
遠くから見に来るいい歳をコイタ有象無象の輩にも呆れ果てる。
ほ~んと、団塊世代はアホの集団かい?高度成長のとき、いい目見たね~カネ持ってるのでしょうな。
この国はたぶん、アホ石原慎太郎みたく、ムダガネをどしどし遣い、派手さばかりを追求し人を人とも思わぬ輩に共感を覚える体質が拭い去れないのだろう~な。
昔のカブくとはチト違うからね、間違ったら困る。
日本のマスコミには三つのタブーがあるとかナントヤラ。
たぶん、今にソウカ、学会やダイクサ池田さんの悪口も言っちゃいけなくなるのだろうな、キット。
戦後、日本の労働者・庶民は先進国の仲間入りを目指してサンザ働いてきました。
最近、ヤットコサ先進国の仲間入りは果たすことが出来たものの、農村や里山はいつの間にやら破壊され、川は枯れ、山は崩れ、産業廃棄物が何処彼処に溢れかえり、優しくもあり、厳しくも在った、我らの自然環境を破壊し、住まいとする民たちの心も農村・漁村・都市部・地方に限らず崩壊させてきました。
そして我が行政の考え、行き着いた先は見せ掛けの繁栄にくぐもった焦点を合わせ、単に辻褄合わせにも劣る政治だったのです。
そして心も枯れるカネ本位制の跳梁跋扈、貧富格差の絶対的定着。
今では、理性をかなぐり捨てた欲望重視の非理性的な人生観が大いに幅を利かせる世の中です。
実は日本国民が豊かになり、幸福になったのではなく、国家と国家権力を牛耳る、一握りの特定少数者を豊かにし幸福にさせる為だけに不特定多数の人々は働いてきたのでした。
殆どの庶民・国民は犠牲者であり、権力者・為政者から投げ与えられた幻想により踊らされてきたのに違いありません。
そして今は奴隷扱いどころか、ほんのモノ扱いされ続けてきているのです。
カイジロウキネン(介護・医療・住居・老後・教育・年金)などと言わなくても、衣食住すら満たされない国民を見殺しにする国家。
「そんな国家を国家として認める必要もなければ支持する理由も全くない。」
自由の概念とは、先ず国家の現在の姿を見つめなおすことそして自分の位置をしっかり捉えなおすこと、その距離を忖度し、自らと状況を破壊し創造する行為の概念です。
そしてフリーミュージックは、如かしてフリー・ジャズは、過去そして現在においてもその使命を担い担わされているのであり、カテゴライズされない音と空間に破壊行為を位置づけ、想像の兆しと予兆を投げ与える音楽として存在し続けるモノなのです。
「目先の欲に振り回されることは重大な判断から目を逸らされることになり、判断を歪め、自らを愚かしい奴隷に貶めることになってしまう。」それを一個の人として人格と権利と自由を所持し、拒否する為にフリージャズは存在し続けます。
ギャーテーズを聴いてみてください。日本のフリー・ミュージックの核が顕在しています。そして、この核は存在することにより他者に再燃を促すに違いありません。
そして歴史はこの核の存在を肯定し続けるに違いありません。マジカルパワー・マコや「裸のラリーズ」のように~。
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