ryukyutokyoのブログ:JAZZと哲学と…

DJ.PANK_kunryu (Dj.薫琉)です。東京ヴェルディと沖縄をこよなく愛する、酔っ払い🥴パンクスです。1955年3月新潟市生れ新潟高校ジョリー・チャップス、上智大探検部出身。40年間勤務した職場を大怪我、肝機能障害、糖尿病、過緊張症で退職しました。現在、アルバイトをしながら療養中です。ゴールデンカップス他GS、freeJAZZ、ムードコーラス歌謡

心打ち震えるJAZZ!!永い彷徨の末に安住の地で再び見出した輝ける未来・吉沢元治とギャーティーズの衝撃…Gyaatees 3rd.with Motoharu yoshizawa last live.

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 WeLcome! 先ず一言。演れない人間にインプロヴィゼーションJAZZはなかなか語れない!

 語る資格がないとは言わないが…

 何ほどかを語るに値する、インプロヴィゼーションJAZZにおいては尚更である。

 たかだかの者が所有する、たかだかな言の葉や言語でいくら表現し慮ってもいかほどのものか。

 JAZZはその表現に勝るものは無い。しかし、その表現の一言一句を自らの歴史と思想と哲学とにより、狭い前頭野を駆使し、その音を稚拙ながらも描こうという努力は、そのJAZZが辿り着いた世界観の土台と支柱を理解するには一助となり、そのJAZZの世界観がめざす次の地平を斬り拓く為の武器と手段になる。

 尚更に思考を斬り結ぶために先鋭化させ自らを照射して行く事ができるならば、彼のJAZZは歴史を超えた空間の中に燦然と輝きを持って屹立し、宗教を完膚なきまでも叩きのめし消捨すべきものは宗教そのものなりという哲学を有するに違いない。

  このアルバムは98年秋、肝臓ガンで死去した吉沢元治の最後の演奏だ。弘願寺を拠点とする知的障害をもつ3人のフリー・ミュージック・バンド(ギャーティーズ)との共演で,それに角田大龍、棟居イズミらが加わった。

 論評など一切必要ない。知的障害など何ほどのものか!?其処にあるのは音楽へとかりたてるピュアな情。情念と怨念と言いたければ言うが良い。

 吉沢元治は1996年、ボロボロの肉体と精神を引き摺りながら藤野町の「無形の家」に辿り着いた。

 辿り着いたその先の地の精神と肉体の浄土は、正に歴史と政治に裏打ちされた逆境と差別の音、そのものに真正面から立ち向かったもののみを迎える浄土なのか。いや否か。

 その答えは不昧である。ただ、共に闘うもののみに存在する事を許される磁場であると願いたい。

 共に闘う動的静的コラボレーションがこのアルバムに実に厳然と存在する。

 永い間、このアルバムの事に触れずに来た。しかし、これこそが心打ち震えるJAZZだ!

 私はこれ以上のインプロヴィゼーション ・ミュージックに出遭った事がないと断言できる 。