ryukyutokyoのブログ:JAZZと哲学と…

DJ.PANK_kunryu (Dj.薫琉)です。東京ヴェルディと沖縄をこよなく愛する、酔っ払い🥴パンクスです。1955年3月新潟市生れ新潟高校ジョリー・チャップス、上智大探検部出身。40年間勤務した職場を大怪我、肝機能障害、糖尿病、過緊張症で退職しました。現在、アルバイトをしながら療養中です。ゴールデンカップス他GS、freeJAZZ、ムードコーラス歌謡

雨のバラード(トオルチャン バージョン!!)/ザ・スウィング・ウエスト :贋・「この野郎!キラーチューンだな・・」 5

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雨のバラード/ザ・スウィング・ウエスト &fmt=18


 スウィング・ウエストは日本のグループ・サウンズの草分けです。1957年に結成されましたが、当初はロカビリーのバンドとして活躍しました。

 メンバーには、現ホリプロ社長の堀威夫(リーダー)、 佐川ミツオ(ボーカル)、 守屋浩(ボーカル)、 湯原昌幸(1964加入) 田邊昭知(ドラム)というそうそうたる面々が在籍しました。

 1960年代中期にはエレキバンドに転身、さらにグループ・サウンズのスタイルとなって1966年7月に、流れ者のギター/待っててシンディー、でレコードデビューしました。

 ザ・ゴールデン・カップスのデビュー曲である『いとしのジザベル』が1967年6月15日に発売されると、ザ・スウィング・ウエストは1967年9月10日に「恋のジザベル」を発売します。所謂、「柳の下」ジザベル現象です。

 その後、君の唇を/さいはての涙(1968年1月10日)ストップ・ザ・ミュージック/心のときめき(1968年2月15日)幻の乙女/雨のバラード(1968年5月10日)涙のひとしずく/渚の乙女(1968年10月25日)

 悲しき天使/ビー・マイ・ベイビー(1969年1月15日) そよ風のバラード/愛の終り(1969年3月25日) レッツ・ダンス/愛の詩(1969年6月25日) 孤独/白銀のバラード(1969年9月25日) など、矢継ぎ早にシングル・リリースをします。

 ストップ・ザ・ミュージック、悲しき天使、そよ風のバラードはヒット!しましたが1970年にGSの常として解散してしまいます。

 しかし、その後、1971年にソロヴォーカルとして再デビューを果たした湯原昌幸がB面曲「雨のバラード」を彼自身のリメイクで切々と歌い上120万枚を超える大ヒットを記録したのでした。

 今回は原曲でどうぞ~ 当時の人気者、トオルチャンこと、梁瀬トオル(ギター・トップボーカル)とサイドバーカル湯原昌幸ツインボーカルが実に泣けます!!

 梁瀬トオルさんは山本徹といえば、思い出す方もいらっしゃるかもしれませんね。

 当時は湯原さんの倍の人気がありましたが、惜しくも52歳の若さで亡くなられました。


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