ryukyutokyoのブログ:JAZZと哲学と…

DJ.PANK_kunryu (Dj.薫琉)です。東京ヴェルディと沖縄をこよなく愛する、酔っ払い🥴パンクスです。1955年3月新潟市生れ新潟高校ジョリー・チャップス、上智大探検部出身。40年間勤務した職場を大怪我、肝機能障害、糖尿病、過緊張症で退職しました。現在、アルバイトをしながら療養中です。ゴールデンカップス他GS、freeJAZZ、ムードコーラス歌謡

フォー・ナイン・エース(4・9・1) /星空を君に:贋・「この野郎!キラーチューンだな・・」 4

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フォー・ナイン・エース 星空を君に


 ジョー山中といえば、フォー・ナイン・エース(49A) です。

 491(49A)のバンド名の由来はデビュー当初は「聖書のもう許されぬ罪491番」からとったと当時のプロフィールでは書かれていました。

 :滝イサオ(LG)司薫(G)瀬川ひろし(D)宮崎むつを(B)城アキラ(V) 沢健一(V)田村純(D)

 当初は、ルイ高橋・田川譲二のツインボーカルを滝イサオ・司薫兄弟のギタープレーとマッチングさせたリバプールサウンドを目指していました。

 しかし、当時の常として、事務所とレコード会社のウリの都合で、メンバーも交代し、出てきたレコードはそれとは大きくかけ離れているような、日本情緒満点のものでした。

「星空を君に」は491(フォー・ナイン・エース)のデビューシングルとして1967年1月に発売されました。

 発売直前にボーカルがルイ高橋から城アキラ(ジョー山中)に交代したため、インナー・クレジットには城アキラ(ジョー山中)の写真があり、リード・ボーカルとあるので、ジョー山中が歌っているものと思われがちですが、実際に歌っていたのはルイ高橋です。

 ギターの滝イサオはエレキの神様!?寺内タケシ御大のお弟子さんでそもそも、寺内一家の弟子バンドとして登場してきたのでした。結局、寺内タケシ氏の意向や陰謀でルイ高橋・田川譲二はブルージーンズに吸収されていきます。

 491はその後、星に告げよう/涙もかれて(2ndシングル)~ ウォーキン・ザ・バルコニー/傷だらけの叫び(3rdシングル) ~ 悲しみの果てに/ノー・ベイビー・ナウ(4thシングル)と、シングルを発売します。

 私は、やはり「ウォーキン・ザ・バルコニー」がもっとも好きで、491を有名にしたのは実は「ウォーキン・ザ・バルコニー」ではないかと記憶しています。

  しかし、ジョー山中もじきに491を辞め、チエックメイツにいたジョニー吉長とカーニバルスカニバルス」を結成するのです。


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