忘れていた百馬鹿~石原慎太郎…何様!?
いやいや、忘れていた。石原慎太郎である。政治家ではなかったっけ!?
いやいや、忘れられた芥川賞作家でしょう。作家で食えないと解かると政治家に豹変する所謂古くからの豹変作家です。
別に、石原は胡坐をかいているだけ、吠えているだけでしょう。
あれだけ、年を食って大声を上げていると、TVのハマコーと同じで単に見苦しいだけ。そろそろ、ボケも入ってきてるのかな。
早く消えて無くなれ。
「東京の税金を東京で使って何が悪い。」という態度と姿勢、主張に醜悪さと見苦しさが良く現れている。
そもそも、彼は東京近郊50キロ圏内から出たこと無いのだろうな。生活文化圏が地方にはないのだろう。
そんな奴が東京都知事かよ。江戸っ子でないからもっと始末が悪い。
彼は東京や首都圏、その他大都市部が、地方に支えられていることに全く、無理解である。
人材、電力、水、食料。この四つを都会で調達できるはずが無い。都会と地方の格差なんて、所詮、この発想が欠落しているのだ。
江戸っ子が実は冷たい、と立川談志や永六輔が語っているのは、そもそも、江戸の人間が江戸から出たことが無い世間知らずで、地方モノが理解できないし理解する術を持たなかったと言う事を正直に述べているのである。
だから、袖摺りあうも多少の縁という諺や、人情バナシ、落語に出てくる世界は、自らに欠落している視点を異文化導入することから江戸文化の中にその立ち位置を確立してきているのである。
その点にも石原など、一切無理解である。しかし、この考えは若いモノには大きな共感を呼ぶ。
所謂、面倒なことには眼を瞑りたいからである。これが石原の本物の哲学である。彼の愛国論は決して日本を見据えた愛国論ではなく、アメリカの眼を通して像を結ぶ世界観と国家感なのである。
そこには地方や格差など像を結ぶ訳はなく、「強いものはより強く」という薄っぺらな論理の帰結しかない。
簡単に言えば、彼が瞼を閉じれば、彼の頭の中から弱者や貧困、格差、そして暴力など消し飛んでしまうのである。