ryukyutokyoのブログ:JAZZと哲学と…

DJ.PANK_kunryu (Dj.薫琉)です。東京ヴェルディと沖縄をこよなく愛する、酔っ払い🥴パンクスです。1955年3月新潟市生れ新潟高校ジョリー・チャップス、上智大探検部出身。40年間勤務した職場を大怪我、肝機能障害、糖尿病、過緊張症で退職しました。現在、アルバイトをしながら療養中です。ゴールデンカップス他GS、freeJAZZ、ムードコーラス歌謡

ブルースマスター・塩次伸二さん、ご逝去!「これでお別れバイバイバ~イ」

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 昨日の「薫柳堂日誌」より~

 ★★★★★塩次伸二さん57歳(しおつぐ・しんじ=ギタリスト)19日午前0時20分、心不全のため死去。
 71年に京都で永井ホトケ隆さんらと「ウエストロード・ブルースバンド」を結成。ブルースギタリストとして大活躍。18日に佐野市で予定されていたライブ前に倒れているのを発見されたという。
 再結成後のW・R・BBの高円寺・次郎吉ライブには1年ほど通ったものだ。最近では荻窪のライブで二度ほど言葉を交わした。最高のブルース・マスターであった。
 私の黄色のオウロラの万年筆を褒めてくれたのが印象的で嬉しかった。合掌 …

:ウエストロード・ブルースバンドは塩次伸二、山岸潤史、永井隆、小堀正、松本照夫が京都は同志社大学で結成されました。ウエストロードとは言わずもがな「西大路」の事です。

 このバンドと塩次伸二さんには沢山の思い出があります。高円寺の次郎吉に通っていた頃は30歳の頃です。毎回、毎回通っていました。再結成後のWRBBの演奏のみならず、塩次伸二コネクションや小堀正グループにも毎回、通いつめました。バーボンのボトルを何本も入れ、ガンガン酔っ払ってました。

 その頃は、私も若く生意気な酔っ払いだったので、永井ホトケさんと喧嘩になりそうになり、伸ちゃんに止めて貰ったことがあります。

 また、小堀正さんのグループの演奏で鼓膜に穴が空き、それ以来、右耳の調子が治りません。疲れると聞こえなくなります。

 塩次伸二さんには荻窪のルースターでの妹尾隆一郎さんとのデュオが最後になりました。その時には、何故か恥ずかしながらCDにサインをしてもらいました。

 そのときの二言三言…。最近太り気味や~、お互い歳をとった…「この万年筆ええやん~」でした。

 このCD、SRSSの最後の曲は「これでお別れバイバイバ~イ」です。

 改めてご冥福を祈ります。合掌…

 *****:警告!腐れたトラックバックを張る奴!遠慮なくブチ殺す!!