ryukyutokyoのブログ:JAZZと哲学と…

DJ.PANK_kunryu (Dj.薫琉)です。東京ヴェルディと沖縄をこよなく愛する、酔っ払い🥴パンクスです。1955年3月新潟市生れ新潟高校ジョリー・チャップス、上智大探検部出身。40年間勤務した職場を大怪我、肝機能障害、糖尿病、過緊張症で退職しました。現在、アルバイトをしながら療養中です。ゴールデンカップス他GS、freeJAZZ、ムードコーラス歌謡

民主主義の言の葉一事不再理:「疑わしきは罰せず」(in dubio pro reo)は米国帝国主義と属国日本権力の前に滅んだ!三浦和義氏の自死を悼む!BUDDY DEFRANCO:「枯葉」を贈る~

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 三浦和義氏が自死され逝去された。

 三浦氏が有罪・無罪かなど問題ではない。被害者とされるご家族の疑念・存念・無念も依然として残されるが儘としても、民主主義国・日本では彼の罪状を含め立憲主義・民主主義国家を標榜する日本では終了した問題である。

 弥が上にも、卑しくも日本国憲法の下で裁かれ、罪に服した一個人が、アメリカ帝国主義のエセ正義、暴虐なる権力行使のうちに、拉致され監禁され、不当なる長期拘束のうちに虐殺されたことに抗議するものである。

それこそが哲学の使命である。命の起原と、所以は探られなければならず、明かされなければならない。それが哲学の真理である。

 真理の前に全ては置かれなければならない。民主主義における真理の在所は日本国憲法に他ならない。

 自明である。

 余り多弁は控えようと思う。

 これが、世界とアメリカの帝国主義の問題であり、アメリカの植民地・日本の地位と日本人大衆の民意と、糟とゴミの残骸の中にユラユラ立ち尽くす自民党政治の問題であり、自民党・肥溜め政治家ドモの悲しくも深い現実の姿をナイフのように我々の立ち位置の胸元に鋭く突きつけられていると言うことを考えなければならない。

 今、日本人は猿と哲学者の選択を迫られているのだ。

 思考せざる者は猿か豚に堕せば良い。

 思考せざるもの、反抗・抗弁せざるものは永遠にアメリカと日本の国家権力の脅される豚にすぎない。

 豚と惰民の集団こそコロニアル日本の象徴となってはならない。

 人間は脆い。日本人は思考を放棄し、正に脆いのである。まさに猿に陥しまんとしているのである。

 反省し反省せよ!自省をすることこそが生き延びる道と考える。

 三浦和義氏の死にBuddy DeFranco/Autumn Leaves を謹んで贈ります。

 たぶん、私の世界では、「枯葉」はBuddy DeFrancoが最高です。

1、Titoro (Taylor) 10:00
2、You Go To My Head (Gillespie-Coots) 6:11
3、Mine (George & Ira Gershwin) 6:26
4、Gerry's Tune (Mulligan) 6:36
5、Autumn Leaves (Mercer-Prevest-Kosma) 7:32
6、Now's The Time (Parker) 6:29 / 43:22

:Buddy De Franco,cl; Sonny Clark,p; Eugine Wright,b; Robert White,ds

;recorded on Aug.9, 1954, LA / Po. POCJ-2607 (1998) (Verve MGV-8183)