ryukyutokyoのブログ:JAZZと哲学と…

DJ.PANK_kunryu (Dj.薫琉)です。東京ヴェルディと沖縄をこよなく愛する、酔っ払い🥴パンクスです。1955年3月新潟市生れ新潟高校ジョリー・チャップス、上智大探検部出身。40年間勤務した職場を大怪我、肝機能障害、糖尿病、過緊張症で退職しました。現在、アルバイトをしながら療養中です。ゴールデンカップス他GS、freeJAZZ、ムードコーラス歌謡

「こぼれた~ワインは…涙の雫(しずく)」だったのだろうか?!GS繋がりは楽しい。:スーパー・ライヴ・セッション(ゴールデン・カップス)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

 xiexie_okada 様、真に有難うございます。またまた、GS話を書く気が起こりました。

 前回は、
 http://blogs.yahoo.co.jp/ryukyutokyo/22092891.html
で、ゴールデン・カップスについて触れましたが、(たびたび、コメントでも触っていますが…)今回は:スーパー・ライヴ・セッション(横浜ゼンに於ける実況盤) [Live] の巻きです。

 以下の曲目リストをご覧頂ければお分かりになると思いますが…素晴らしいほどの意識です。

1. モジョ・ワーキング
2. アイム・ソー・グラッド
3. 59番街
4. ワン・モア・ハートエイク
5. 魔女の季節
6. グロリア
7. 悪い星の下に
8. マンズ・テンプテーション
9. ゼンのブルース

 なお、ジャケットの絵画?はルイズルイス加部こと加部正義さんの作であります。

 イヤハヤ、ぶっ飛んでマスネエ~。このぶっ飛び感覚こそ、このライヴの真骨頂でありました。
 
 具体的には当時のカップスのフルメンバー(ケネス伊東氏を含む)、にパワー・ハウスの陳信輝さんと柳譲治さんが加わったものでした。

 このメンバーを見てもぶっ飛びますが、彼らのバカテクも当時の日本のロック状況の中では最高の水準であったと思います。

 何せ、彼らが意識したのは、時代のズレコソあれ、アル・クーパー、マイケル・ブルーム・フィールド、エルビン・ビショップの「フィルモアの奇跡」と「スーパー・セッション」だったわけですから…。

 実はこの二枚のアルバムほど、ダビングに継ぐダビングを重ね、切り張りに継ぐ切り張りでスタジオ加工が施されたアルバムはなかったのですが、カップスとパワ-・ハウスの面々は負けじと最高のテクニックと「ガッツ!」(当時の流行り言葉です)を見せたのです。

 そして、このアルバムに私達は魅せられました。

 そうです、格好良き、不良になるために…。

 大枚2,000円を費やして、「SUPER LIVE SESSION *THE GOLDEN CUPS:RECORDED LIVE AT YOKOHAMA “ZEN”」を購入したのです。

 分厚い見開きのLPレコードにサイケな、ごった煮のようなフルカラージャケット。

 クールで飛んだ瞳をした、バタ臭い不良ドモの裏ジャケ写真。

 そして、LPのライヴ演奏の中身は驚愕の代物だったのです。

 当時のロックシーンの中で体育館のようなディスコで、リハなしの一発撮り、一触即発の飛び道具と触ると、血の滲むナイフの渡り合い…そんなセッションをおこなったのでした。

 この録音は時代の区切りをつける、まさに歴史的な代物でした。

 これを最後に、エディさんとケネス伊東さんは、カップスを脱退し、エディ藩グループを結成します。

 そして、新生カップスにはリン・ケイブンことミッキー吉野氏のポン友、林恵文さんが、ベース・ギターで加わり、ルイズルイス加部さんはリードギターを担当することになります。

 当時の最高の面々は、このLPの発売を契機に、彼らのR&B路線に一定の見切りをつけ新しい道へと走り始めるのです。。

 彼らは、コロニアル主義・ヨコハマの格好付けの東芝路線から脱却を図り、各々が本来したかったことを自由闊達に、したいようにと、胎動し始めるのです。

 彼らの誰一人として、決してディープ・ブラックブルースをR&Bをしたかったわけではなかったのです。

 THEMであり、ポールバター・フィールズ・ブルースバンドであり…そしてヤード・バーズが彼らのお手本でした。

 そもそも、ハーフ・バンドなど嘘っぱち。

 ルイズルイス加部さんはフランス人と日本人のハーフであっただけであり、エディさんは中国人、ケネス氏は米国人、後の面子は生粋の日本人でした。

 時代はヴァニラ・ファッジのキープ・ミー・ハンギング・オンとプロコル・ハルムの「蒼い影」が一世を風靡した時代、その時代は、徐々に、スリー・ドッグ・ナイトとヤング・ラスカルズにと風向きを変えていきました。

 ある意味、R&Bで名声をはくし、アートロック環境から、彼らの行く末の道だった、今で言うガレージ・パンクの道は段差が厳しすぎて、日本の聴衆者の前では難しかったのだと思います。

 しかし、カーナビーツを経てエディ藩グループに請われ、カップスのドラマーとして君臨したアイ高野さんと、加部正義氏は自らの信じる道、ニルヴァーナに象徴されるグランジ・ロック。ディヴ平尾氏はミッキー吉野と共に神秘的なハードロックの雄、マウンテン、骨太のマウンテンサウンドに姿を借りつつも、共にガレパンの道を進むのでした。