未来は決して予測できず、そう簡単には、思うようにはならない!「釣れんボーイ 上・下 :いましろ たかし 」
ご無沙汰いたしました。なかなか、ブログに辿り着けませんでした。まっ、こんなときもありますかね?
土・日はゴロゴロしてました。土曜は小学校の運動会だったのですが、雨との予想は大外れ~!見事に日焼けしてしまいました。
なかなか、暇つぶしとは縁のない私ですが…、ひつマブシは美味しいですね。
日曜はJBLで寝転びながらJAZZ三昧!しかし、何か読むものが必要と言うことで…
漫画です。
私は余り漫画に縁がないのですが、ズバリ!「釣れんボーイ 上・下 (ビームコミックス文庫) :いましろ たかし 」(\893)です。
いえいえ、そんなことはありません。読めば読むほど考えさせられました。
たぶん、ヒトは家庭生活と労働の裂け目や谷間に出来た時間をナントカ心地良く楽しく過ごすために暇つぶしをするのでしょう。
その為に「漫画を読む」と言うことがあるのでしょう。決して漫画を貶めているのではありませんが、そのようなシュチ・エーションが多いのではないでしょうか。
しかし、「釣れんボーイ」には考えさせられました。哲学を感じました。
時間の流れと意思決定。環境の中の自己存在と未来。
ベルグソンは時間を連続体として捉え、時間についての理解が空間化された時間についての理解、認識である事を批判し、人間が経験しているのはそのような時間ではなく時間を「純粋持続」であるとしました。
バシュラールは逆にそれは瞬間の連続として考え、我々が感じる時間現象は常に現在、言い換えれば瞬間でしかない、としました。
記憶にある瞬間瞬間と現在瞬間が比較される時、時間概念が誕生します。
つまりは、そこから瞬間瞬間をより高く深く生きる事が、よりよく時間を過ごす事となるというのです。
さてさて、如何でしょうか?問題はそう簡単ではないと思います。
未来は思いつくことの出来るものであって、決して存在していません。実はヒュームの言うように因果律などは未来の予想には役立たないものです。
過去と未来を貼り付けるものは接着剤でもありません。現在は存在しても未来は存在していません。
野球の展開のように未来は予想できないのです。
( :途中ですみません~…)