ポッカリと空いた奥歯の穴の痛みは、やがて癒される。チューバJAZZの第一人者・関島岳郎さんが盟友と共に、悲しくも煌々と、JAZZの行く手を照らす葬送行進曲:「PHOTON/林栄一・中尾勘二・関島岳郎」
整骨院通いで、しつこい腰痛も癒えてきた頃、今度は左下一番奥の歯が、真っ二つに割れた。
銀冠のかぶせ物がしっかりして在ったのだが、モンゴルから帰り、好物の豚軟骨をバリバリ食べているうちに、割れたと思われる
4・5日は放って置いたのだが、さすがに一昨晩から左頬がはれてきて痛くなり、我慢ができずに行きつけの歯医者で治療を受ける。
レントゲンを撮り、銀冠を外して見ると、真っ二つに割れているとの事。麻酔を3・4本打って、一時間ほど掛かり根元から抜き去ってしまった。いやはや、その歯の大きいこと、その痛いこと痛いこと~。約2センチほどの大きな穴がポッカリと空いてしまった。化膿止めと痛み止めを貰ってきたが、暫らくは口が利けない状態であった。
☆☆☆
1992年12月 9日に篠田昌已が亡くなり、COMPOSTELAは解散した。1989年11月に篠田、中尾勘二、関島岳郎で新バンドを結成。バンド名未定のまま最初のライブを開始。1990年春にはバンド名をCOMPOSTELAに決定、しかしそのヴィヴィッドでエポック・メーキングな活動は3年余りで幕を閉じた。
1992年12月 9日に篠田昌已が亡くなり、COMPOSTELAは解散した。1989年11月に篠田、中尾勘二、関島岳郎で新バンドを結成。バンド名未定のまま最初のライブを開始。1990年春にはバンド名をCOMPOSTELAに決定、しかしそのヴィヴィッドでエポック・メーキングな活動は3年余りで幕を閉じた。
しかし、ポッカリ空いた大きな奥歯の穴の痛みも、やがて癒される。COMPOSTELAのDNAと歴史を引き継いだものは増殖を続け、ソウルフルでアーシー、そして優しく暖かく広く心に残る音を拡散し続ける。
関島岳郎は、いしいしんじの「ポーの話」「麦ふみクーツェ」「ぶらんこ乗り」などを読み進める際の、感受性と手触りを実感させるが如きのCOMPOSTELAのクレズマー風の音調に、JZAA本来のマーチング・スタイルのベースとリズム、そして浮遊するようなスイング感を力強く刻み付けてきた。
チューバ奏者関島岳郎はベースなし、専属ドラマーなしでも、JAZZのユニットを軽々と存在せしめるテクニシャンであり、JAZZという枠に閉じ込めることの出来ない、音の感性を持っている。
このアルバムは篠田昌巳さんが、尊敬して止まなかった林栄一さんを盟友中尾勘二さんとのユニットに迎えた、篠田昌已さんの作品集である。
このアルバムは篠田昌巳さんが、尊敬して止まなかった林栄一さんを盟友中尾勘二さんとのユニットに迎えた、篠田昌已さんの作品集である。
コンポステラ、お馴染みのナンバーを始め、未発表曲も演奏されており、篠田作品の8曲と並び、ビクトル・ハラ「耕す者への祈り」、林栄一さんの「ナーダム」の二曲の演奏も収録されているのも聴き処である。
篠田さんの曲は飽くまでも優しく、林栄一さんのsaxは鋭い悲しみの叫びを上げる。
篠田さんの曲は飽くまでも優しく、林栄一さんのsaxは鋭い悲しみの叫びを上げる。
中尾さんのソプラノサックスは全身を震わせる絶望の咆哮から、新地平への飛翔を想起させ、関島さんのチューバは、悲しくも煌々と、彼らと日本のJAZZの行く手を照らす葬送行進曲を奏でるようである。
COMPOSTELAのDNAは決して消え去ることはない。
1.オーバー・チューン〜ニキシのまだ来ない朝 2.1の知らせ 3.こぶしの踊り(光る人) 4.「TATSUYA」より 5.反射する道 6.Em 7.ハルマゲドン 8.アジールのマーチ 9.耕す者への祈り LA PLEGARIA LABRADOR 10.ナーダム