ryukyutokyoのブログ:JAZZと哲学と…

DJ.PANK_kunryu (Dj.薫琉)です。東京ヴェルディと沖縄をこよなく愛する、酔っ払い🥴パンクスです。1955年3月新潟市生れ新潟高校ジョリー・チャップス、上智大探検部出身。40年間勤務した職場を大怪我、肝機能障害、糖尿病、過緊張症で退職しました。現在、アルバイトをしながら療養中です。ゴールデンカップス他GS、freeJAZZ、ムードコーラス歌謡

沖縄で考える…

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 沖縄に通い始めて、4年になる。年に4~5回と言うところである。通算で、20回以上訪れたことは確かである。
 沖縄で出会う、ハードリピーターの中には月に2~3回と言うツワモノも多いので、私など足元にも及ばない。私の友人は、泊にマンションを購入し、昨年から居住している。
 4年前に沖縄に訪れた際に、先ず「ひめゆりの塔」「平和の礎」「嘉手納基地」等を周り、ガマの見学などをした。そこで、日本の歴史と日本の事となりをじっくり再考する機会ができた。そして、ものを考え、深く思慮をめぐらせる機会を持ち、沈思する癖をつけるきっかけができた。
 リラックスし沈思黙考し、熟考する。沖縄はそのトリガーである。胆座し、沈思黙考し、熟考する。思考による武装である。
 「集団自決」の教科書記述をめぐり、問題となっている。歴史の断面を隠蔽し、きっかけと結論の道筋を折り曲げようとする論説、発言が飛び交う。
 先ずは、現場で事実を確認することだ。臨場感を持って時を越えて経験する努力をすることだ。歴史的事実は忘れることはできても、消し去ることはできない。過去の歴史を不可知論で捻じ曲げても、必ずや事実の存在感が歪曲を正す。伝え語り継がれていくのだ。フォークロアの力は時と空間を越えて存在するこそ、資料は意味を持つ。私たちは謙虚さを持たなければならない。胆力を持たなければならない。
 刷り込みと洗脳はマスコミと時の権力者の常套手段である。つまらない罠に落とし込まされ、嵌め殺されてはならない。