憤怒は狂体と共にあり!高柳昌行 「New Direction Unit/侵蝕(Eclipse)」を日本のJAZZは超えられるのか!?
高柳昌行さんのJAZZの源泉は怒り、いや、それを超えた憤怒である。
私たちの胸倉をムンズとばかり五指とぶ太い腕で掴み、絞り上げ振り回す。
その音と響き。いや、爆音と轟音、日本の津ズ浦々の街、そして国境線を越えた街の騒音。日本と日本の歴史と、みそがれた階級のために奴隷の人生を歩んできた情景と風景の騒音。
高柳昌行さんのJAZZは、みそがれた階級に奉仕させられてきた我々奴隷の運命と呪縛。頸木と鎖を打ち破らんとする音楽である。
奴隷とは何か。それは労働に対して、正当な報酬が与えられない存在のことである。
JAZZの原点はこの事であり、これ以外の何者でもない。それがJAZZの音楽の伝承としての存在であり、存在すべく価値を与えられた所以である。
風土と歴史の長く拮抗した「宗教」。そして宗教に目が眩みスピリチャルに安住の地を見出の自己憐憫。
固体としての自己の体内には、固有の歴史を秘めた血があり、そして体外がある。体外とは即ち森羅万象を包含する「響き」無止無終を流動する響体と轟音である。
呪縛など、みそがれた階級の詮無い洗脳である。その洗脳から真に覚醒する術は誰も投げ与えてはくれず、転がってもいない。
自らが探し出し、出遭い、それを持って、自らを粉砕し自らを解体し、自らを構築する「鋼のこころ」を鍛えることである。
音とアンサンブルの昇華と散華のなかにサジェスションを暗黒の内に繰り返し、提示する狂体としてのNew Direction Unitは破壊尽くし、自己憐憫なる洗脳の幻想を粉砕することを先ず第一目的とする。
そして、創造するのだ。自らの指名と、残された生命の自らの重量を。
想起せよ。おぞましき、現在を。みそがれた階級が永遠のみそがれし階級の歴史を連綿と紡がんがため、撒き散らす腐臭紛々たる、帝国と帝国主義者。帝国に売国する現政権、日銀、経済界。悪徳ブローカーとして、そして、みそがれし階級の下部として腐肉に群がる石原慎太郎某など…。
さて、現在の日本のJAZZはこの思想、そしてそのテクニックとアンサンブルを超えることが出来るのか…!?