「元気の出る歌謡曲」がソウル・ロック、リズム&ブルースに進化した日:内田裕也とフラワーズ/challenge!
私は明日から新潟市出張、自分の故郷ではあるが寒さが恐怖である。しかし、たまには両親の墓参りにでも行ってくるか…。時間があればである。
今日は、午前中、久々にジムのプールで2時間ほど過ごした。水中歩行は久々である。いつもは1時間ほどクロールで泳ぐのだが、久々のことゆえ1時間弱歩くだけにした。8キロほど痩せて筋力が衰えている。
帰ってからはウエザー・リポートの「8:30」に始まり、コルトレーンの「BLUE TRAIN」を三回繰り返して聴き、コールマンの「SOMETHING ELSE!」、藤井郷子・田村夏樹の「PAST LIFE」おなじみのLARRY FULLERの「EASY WALKER」(二枚あるので胸ジャケの方を聴きました。足ジャケの音と殆ど変わりません~)
http://blogs.yahoo.co.jp/ryukyutokyo/8361361.html
と聴き繋いできた。
http://blogs.yahoo.co.jp/ryukyutokyo/8361361.html
と聴き繋いできた。
私にとっての、初めての音楽経験(初めてレコードを買ったのは)はザ・ビートルズ/プリーズ・ミスター・ポストマン(EP盤280円)である。しかし、それは小学生の頃の出来事であり、ビートルズにのめり込む事はなかった。
ジ・アニマルズ、エリック・バードンにのめり込んだのである。しかし、私は余りにも若かった。当時のグループ・サウンズに結果として小学生のうちからのめり込み、少ない小遣いでザ・ゴールデンカップスのEPやLPを購入することになる。ゴールデンカップス好きはJAZZにのめり込むまで長いこと続いた。実は今でもゴールデンカップスの自称“追っかけ”である。
中学一年生までは本気で家出まで考えた。ヨコハマにカップスを聴きに行きたくてね。ハハハ~馬鹿だね!
しかし、ここではゴールデンカップスのことは書かない。いや、書けないのである。思い込みが激しすぎる。
今年の正月もあけた頃、新宿のdisk unionへ行く途中、銀髪のロングヘアーに青いミラーのグラサン。ロングコートに杖の男がゆっくりと靖国通りを横断するのに出くわした。
言わずもがなの内田裕也さんである。
だから、ここではフラワーズである。
早速、disk unionロック館で、このCDを購入した。実はこのアルバムは持っていなかったのである。もちろん、シングルレコードの「ラスト・チャンス/フラワーボーイ」は擦り切れるほど聴いた。いまでも、麻生レミこと麻生京子さんのラースチャンー・ラスチャーンというリフが夢に出てくる程だ。
何故に、このLPを持っていないか。答えは簡単明瞭!ご覧のこのジャケットを観ていただければ判るでしょう。発売当時の1969年の6月には私は、14歳、中坊の三年生、そろそろJAZZに触手を伸ばしている時期でもあり、また高校受験の真っ最中!そんな時に、こんなジャケットのLPなど、家に買って持って帰れますか~。
買えなかったLPはもう一枚あります。「エレクトリック・レディランド: ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス」です。これも、もちろんジャケットを観ていただければ、判るでしょう。こちらは今でも、LPは持っていないので、ジャケはこちらを参考にしてください。
http://shinshu.fm/MHz/96.74/archives/0000077249.html
こちらは、一年早い、1968年の発売で、しかも発売禁止となったといわれていますが、当時私の三歳上の従兄は持っていましたからね。真に名盤です。ジミ・ヘンの最高作品でしょうね。でも、当時の金銭事情からジャケ買いなど有り得ませんでしたから、くれぐれも誤解無きように~。
http://shinshu.fm/MHz/96.74/archives/0000077249.html
こちらは、一年早い、1968年の発売で、しかも発売禁止となったといわれていますが、当時私の三歳上の従兄は持っていましたからね。真に名盤です。ジミ・ヘンの最高作品でしょうね。でも、当時の金銭事情からジャケ買いなど有り得ませんでしたから、くれぐれも誤解無きように~。
当時はもう、ゴールデンカップスがGSでは、歌謡曲とは一線を画す黒っぽいR&Gやホワイト・ブルースの道を歩んでいたのだが、LPとして、日本のGSが「元気の出る歌謡曲」からソウル・ロック、リズム&ブルースに一気に進化したのはこの、フラワーズの一枚からであった。
選曲も、「ビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニー」のチープ・スリルからのものが多く、それに、クリーム、ジェファーソン・エアプレイン、お決まりのジミ・ヘン(地味・変)物を加えた作品であった。当時はエフェクターが今ほど、発達していなかったせいか、小林勝彦のスチールギターにファズとワウペダルを掛けていたのがチープでかつ鋭い。
そして、なんといっても凄いのが、麻生レミさんのジャニス・ジョプリンにグレース・スリックを掛け合わせたブルーズ・シャウト
である。麻生さんは裕也さんの二歳下の大姉御であったが、当時は私たちのソウル・ビッグ・シスターであった。ラジオの深夜番組のオ-プニング曲なんぞをよく担当していた。
である。麻生さんは裕也さんの二歳下の大姉御であったが、当時は私たちのソウル・ビッグ・シスターであった。ラジオの深夜番組のオ-プニング曲なんぞをよく担当していた。
ともあれ、一曲目の「ふたりだけで」のギロの刻みと、ギター、オルガンのバッキング、それに続く、レミさんのシャウトは必聴である。
正しく、この日、日本の歌謡曲の歴史は変わったのである。
しかし、ロックスピリッツと反体制の象徴が裸とは如何に当時といえども、チト、せこい!
麻生レミさんは男のメンバーとの同時撮影をかたくなに拒否し、(当然だよね!)一人で撮影。後ほど合成したそうである。
ここらで、もう一度、内田裕也さん!ロックスピリッツと反体制で、ドカンと一発!社会に貢献してみませんか~!