ryukyutokyoのブログ:JAZZと哲学と…

DJ.PANK_kunryu (Dj.薫琉)です。東京ヴェルディと沖縄をこよなく愛する、酔っ払い🥴パンクスです。1955年3月新潟市生れ新潟高校ジョリー・チャップス、上智大探検部出身。40年間勤務した職場を大怪我、肝機能障害、糖尿病、過緊張症で退職しました。現在、アルバイトをしながら療養中です。ゴールデンカップス他GS、freeJAZZ、ムードコーラス歌謡

「そんなの関係ねぇ~!!」と言う前に:浜松市役所ホームレス女性の放置殺人とイージス艦「あたご」事件の吉清哲大さんに思う

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 この日本は腐っている。腐りつつあると言うより腐っている。

 官尊民卑チンタラ防衛省海上自衛隊イージス艦「あたご」によって、極寒の海に放り込まれた、吉清哲大さんは、東京・上野のホームレスを支援するためここ四年ほど、自分で漁をした魚を届けていたと言う。

 この腐臭紛々たる日本の中で、今時、珍しい、心優しき働き者の青年であった。わざわざ、南房総から上野まで届けるなど、中々出来ることではない。

 昨今の「そんなの関係ねぇ~!!」に表現される日本の空気は別に、今の若者を指差して表現しているのではない。

 指弾されるべきは、戦後日本の中で、安保、全共闘、学園紛争、高度成長という激動の中をひたすら、ベビーブーム・挫折と転向という言葉で、スキゾを極め込んで高度成長の恩恵をひたすら享受し、ミーイズムにのめり込んできた、戦後の団塊世代なのである。

 あえて、反省を込めて言うならば私たち昭和20年後半生まれ組みも、奴等を糾弾し切れなかったと言う意味で同じ穴の狢。団塊の残党である。

 このミーイズムが日本に悪しき個人主義と、排他主義、そして「そんなの関係ねぇ~!!」という、腐った日本の風潮をもたらしたのであるから、徹底的に糾弾されなければならない。そして、その風潮は官から民へと波及したのだから始末が悪い。

 少し旧い話になるが、雨宮処凛さんのブログに「浜松市役所ホームレス女性の放置死」の掲載があるので長いが引用させていただく。
 http://www.magazine9.jp/karin/080130/080130.php

*:『 またしても命が奪われた。
 昨年11月、浜松市役所の敷地内でホームレスの女性が亡くなったのだ。毎日新聞(1月16日)で報道されたので、御存知の方もいるだろう。

 同紙によると、70歳のホームレスの女性が弱っているのを警察が見つけ、救急車が呼ばれる。が、救急車が行った先は病院ではなく市役所。市役所の中ではなく敷地内のアスファルトに寝かされる。その1時間後、野宿者の支援団体のメンバーが通りかかったところ、彼女は目を見開いたままほとんど反応がなかったという。心肺停止状態。市役所の職員は女性を囲み、ただ見下ろすだけだったそうだ。保健師もいたのに容態を調べることもなかった。女性の胸には職員から渡された未開封の乾燥米が置かれていたそうだ。女性は4日間食事をしていなかった。が、乾燥米は「食べるには袋を開け、熱湯を入れて20〜30分、水では60〜70分待つ必要がある」。封をあける体力も残されていなかったのだろう。

 結局、支援団体のメンバーが救急車を呼ぶよう要請したが、手遅れだった。女性は翌日に死亡。
 市役所の敷地内で、こうして命が奪われた。なぜ、最初の救急車は病院へ行かなかったのか。なぜ、あたたかい市役所の建物の中ではなく、冷たいアスファルトの上に寝かされなければならなかったのか、なぜ、乾燥米しか渡さなかったのか。疑問は尽きない。そしてなぜ1時間も「ただ見ている」だけだったのか。

 北九州の餓死事件を考えても、背景には生活保護費を抑えるという具体的な数値目標があった。この場合はどうだろう。面倒なことにかかわりたくないという一心で、押し付けあっていたのではないだろうか。同記事には「市の高齢者施設への短期収容も検討されたが、担当課に難色を示され、対応方針を決めかねた」とある。担当の課は、きっと面倒だったのだろう。かかわることが。仕事が増えるから。その間に、女性は手遅れとなってしまった…』

 さてさて、これが今の腐った日本の状態である。これが殺人ではなくてなんだろうか、放置死イコール立派な殺人である。こんな話は浜松市のみのお話ではない。日本全国で知らないうちに起こっている問題であり、すぐ身近で起こりうる問題である。

 一体全体こんな日本に誰がしたのか?真摯に受け止めなければならない。

 腐ったミーイズムは日本を腐らせる。知らない振りをしたけりゃ、知らぬが良い。しかし、よい大人と高額な恩給や、年金で安穏と楽してるハイソプチジジイ、ハイソプチババアどもが「そんなの関係ねぇ~!!」と言う前に、もう一度、自分と周りを特と見直して見るべきだ。

 一度、自らのミーイズムと個人主義を見詰め直さない限り、この国は腐りきってしまい、足腰の立たない無思想、無節操な国になってしまうだろう。それでは、堪らない。

 仙台の市役所では、職員の皆様が昼食時間を45分にされたので、「ゆっくりランチができない」と、お怒こりになっていらっしゃるとのこと。職員の中には、また、昼休みを60分に戻すと退庁時間が15分遅くなるので「嫌だ!」とのお考えの人もいらっしゃるとのこと。それこそ、大声を上げて耳元で叫んでやろう!

 そんなの関係ねぇ!!!