ryukyutokyoのブログ:JAZZと哲学と…

DJ.PANK_kunryu (Dj.薫琉)です。東京ヴェルディと沖縄をこよなく愛する、酔っ払い🥴パンクスです。1955年3月新潟市生れ新潟高校ジョリー・チャップス、上智大探検部出身。40年間勤務した職場を大怪我、肝機能障害、糖尿病、過緊張症で退職しました。現在、アルバイトをしながら療養中です。ゴールデンカップス他GS、freeJAZZ、ムードコーラス歌謡

熱海で考えた~:当たり前のことが当たり前ではない国、日本

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 出張帰りに熱海で2泊した。いつもの伊豆山である。熱海に雪はとうとう降らなかったものの、大層寒かった。

 私は雪国生まれであるけれど、寒いのは苦手である。沖縄や熱海に来る大きな理由の一つではある。

 熱海は、やはり魚が美味い。これも理由の一つである。熱海に来ると必ず、伊豆山神社の横の魚久さんで、刺身を買い、自家製(店先で一夜干しを作る)の干物をお土産に買って帰る。今回は初日がホッキ貝を捌いて貰い、鮪に勘八の刺身、それにマカロニサラダ。二日目は海鼠に蛍烏賊、それに切干大根の煮付けである。

 これで、泡盛の湯割をちびちび飲りながらラジヲを聴き、本や新聞をじっくり読むのが極楽である。そして、塩湯の温泉に浸かる。

 しかし、一人でいると色々考えるものである。それもじっくりと世間の様を考える事になる。

 昨今の道路特定財源問題一つとっても、日本では当たり前のことが当たり前にならないのが、おかしい。

 この期に及んであれだけ「道路特定財源はおかしい」としつこく言っていた財務省の官僚どもは自分らの身を按じて一言も発しなくなってしまった。無責任官僚の官僚たる所以である。

 自民の政治家に苛められるのが怖いのである。自分のみが安全であれば良いのだ。下手に矢面に立たされて、叩かれたら堪らない。

 道路、道路と国も地方も、政治家も言うけれど、いくら道路が在ったって、病院も無ければ、医者も居ない。ましてや、バスなどの公共交通機関が無ければどうするの?

 私の住む八王子に加住という町がある。創価大学、純心女子大を控え、現在では、「道の駅・滝山」で有名である。ここ加住で加住小学校へ通じるバス路線が3月31日を以って廃止されることになった。このバスを利用する36名の加住小学校の生徒たちは交通量が多い、危ない道を片道40分掛けて徒歩で通学することになる。理由は赤字路線であるからである。この赤字路線を廃止することによって創価大学へのバス便を増加し、創価大や純心大へのバス料金を下げるとの事である。やはり、資本の論理、この背景には小泉内閣当時の規制緩和が大きく絡んでいる。

 子供など、歩けばよい、という人は一度歩いてみればよい。歩道すら無きに等しいビュンビュン、トラックが通る産業道路を雨の中、傘をさして歩くが良い。

 住民やPTAの強い反対で、西○京バスは朝一、夕方一便のバスを確保する旨の回答を出して来たらしいが、これが実態である。道路などいくら造っても、道路以外の社会的なインフラ整備にカネが周らなければインフラなど機能しないのである。

 道路が日本の国の隅々まで、出来上がれば、病院が建ち、お医者さんが地方の隅々まで、出てきてくれて、バスが走るというならば、そもそも、揮発油税他を道路特定財源だけに限ることがおかしい。

 道路特定財源は道路だけに特定する国家予算の資源配分の方法であるからだ。問題は国家資源をどのように配分するかの問題であって、そもそも、道路特定財源を廃止したら道路が造れなくなるという考えが本末転倒なのである。

 道路を造ろうが病院を建てようが地方が判断すればよい。その判断をすることこそが地方自治の初端である。地方は、道路特定財源により大元の予算を組まねばならないという目先の必要性に目が眩み、そもそも、地方分権そのものを放棄しているのである。

 「現在の最も、可及的そして効果的な景気対策は、暫定税率の廃止である。政権が変われば、地方交付税の在り様も変わる。その意味で、政策ではなく、政局である」と榊原英資氏がTVで語っていた。蓋し、至言である。

 地方自治体の長は負け犬根性を捨て去るべきである。

 地方自治体の長といえば橋下徹である。こいつは、私が言うまでもなくバカだ。早速、古今百馬鹿のなかにランクインである。

 財政再建団体(もはや時間の問題!)の長として、「あんた方は倒産企業の職員じゃ!覚悟しろ!」とばかり職員の前で啖呵を切ったのは良いが、大見得切った割りに、自分は退職金の50%カットじゃ笑う。

 「倒産企業の社長」の退職金が4年で4000万円のところを2000万円にして事タレリとする頭脳構造はかつて安倍晋チャンのボーナスカットの頭脳構造と同じで幼稚であるね。

 ここは一番、退職金の全額辞退!給料の四分の三返納くらい言わにゃ、説得力がないわなぁ(竹下登の口調~)。

 それ見たことか。早速、職員の家族からブーイングの雨霰である。曰く、「うちはどうなるの」「子供の顔に笑顔と言っておきながら、うちの子供に笑顔がない」だの。気持ちは解かるものの、親方日の丸、公務員根性丸出しである。だから、公務員は高給取りでいるくせに駄目!ってそこらの人から言われるのだよ。こんなときはじっと我慢、我慢。黙っていなきゃあね。それが、公僕たる、公務員の姿である。

 そして、倒産企業なのだから、先ずは社長の首の挿げ替え、社長の責任追及、社長の給与返納(まだ、橋下は貰ってないか~)。そして、早期退職、退職金の加算を要求していくべきでしょう。

 現代日本の数多ある倒産しそうな会社はみんなそうですから…。

 まあ、日本の賃金機構の上に厚く、下に薄っぺらな発想そのものは今に始まったことではない。さかのぼれば際限は無いが、近い話では明治維新薩長藩閥政府に顕著であった。

 当時の藩閥官僚たちの月給は250円から350円。今のカネに換算すると平均250万円から350万円、一説によれば、その倍の貨幣価値という説もある。

 あくまでも、薩長藩閥の高級官僚の給料であり、下僕官吏たちの給料は10円から20円というところでしょう。それに、当時の高級官僚たちは江戸幕府から接収した広大な土地に豪邸を公費で建てていたのですからね。泥棒に追い銭ですな。

 西郷隆盛や大久保などは月給500円から800円、伊藤博文山縣有朋など加給を含めもっと貰ってたんでしょうね。貰うというより、山分けしていたというのが本当のところです。

 こんな薩長権力者の強盗体質が現在の政治家・高級官僚国家のルーツになっていくのでしょうが、酷かったのは日本軍の給与体系です。

 大西巨人の「神聖喜劇・第四部伝承の章・第三縮図」に村崎一等兵が日本軍の全く馬鹿げた給与体系に言及する場面が出てくる。当時の二等兵一等兵は一律月給5円50銭。伍長になると等級により9円~10円50銭、軍曹13円50銭~22円50銭。曹長が30円~67円。ここまでが下士官。一般呼集兵は二等兵から始まり、一等兵は古参兵と呼ばれていた。職業軍人はその多くが、最低でも軍曹あたりから始まった。准士官以上は年俸となり、給料は一変する。

 准尉900円~960円、少尉850円。中尉1020円~1130円、大尉1470円~1900円。左官クラス、大佐、連隊長クラスで3720円から4440円である。これを万円で読み替えれば現在価値とほぼ同等である。

 如何に、酷いものかが良く解かる。これに下士官以上には年末・年度末にそれぞれ賞与が出た。この賞与は全くのお手盛り、また、一律に20%から25%の戦時加給が支給されていたのだが、一等兵二等兵は20%で合計6円60銭。大佐クラスは5328円となる。

 これじゃ、何度戦争やっても負けるわ。そもそも、戦争などできそうもなければ、規律も規範もない、お手盛りの精神構造であり、根本的に腐っていたのである。戦争好きだけど、カネはもっと好き、という奴等である。

 こんな奴等が、どれだけの人間を殺してきたのか、また殺させてきたのか。

 こいつらは人を楯に、自分はこそこそ物陰に隠れて、ピンポンダッシュして逃げる奴等である。

 兎も角、日本はおかしい。おかしかったのである。そして、今もなお、おかしい。