デラシネの旗を引き摺りながら、自己のSOULを追求し続け逝った、Gabor Szabo(ガボール・サボウ):The Sorcerer
1970年代には「ジャズはソウルだ!」という言葉が流行った。
「プレーヤーとリスナーのコミュニケーションがなくてはソウルなんて、あり得ません。だからこそ、音場再現の4チャンネルが必要ですし、プレーヤーのナマのフィーリングを再現する必要があるのです…云々」。これは、1972年の東芝ICボストンQMマトリクス4チャンネルのキャッチコピーである。
今となっては、微笑が浮かぶ旧いコピーだが、当時の4チャンネルなど高嶺の花、垂涎の代物であった。
しかし、このコピーはあるモノを的確に謂い得ている。
「プレーヤーとリスナーのコミュニケーションがなくてはソウルなんて、あり得ません。」というコピーに真理があるのである。
偉大なるジャズミュージシャンは、ソウルジャズという言葉を用いても、用いなくても、形式や技法に偏することなく、JAZZのルーツというべきルーツミュージック(自己の民族固有の音楽)やブルースの精神を再探求して、アーシーなJAZZフィーリングを醸成し、聴く者をその世界に引きずり込んでいく。そして聴く者に、聴くものサイドからのコミュニケーションを絶えず要求する。
ある時はその姿勢と思想を執拗に要求する。そして、腰砕けのジャズファン・リスナーなどは歯牙にも掛けない。
それこそがソウルジャズを発展させ創造し、継承していくものなのである。
サボウの少年時代は、ロマに在り、旅から旅へと大陸を移動し、ひとつ処に定住することが無かった。親族や周囲のものからギターを教わり、自己流・自分なりの工夫を重ねて、この楽器をマスターした。
サボウにとってはジャンゴの音楽はロマミュージックに映っていたのかもしれない。ジャンゴの音は所謂当時のジャズ・ギターのスタイルとは異なっていたし、テクニックもジャンゴ流のものであったからである。
ジャンゴの影響を色濃く受けたサボウのギターも、風変わりな響きを身に付けていくのである。
そこで、初めてクリスチャンとジャンゴの同位性に気がつき、ジャンゴ・ラインハルトにのめり込んで行くのである。
そして、自己のルーツを追及していく自分の指向性がジャンゴとの同位により、大いなる自信を深め、さらなるジャズの研究へと没頭していく。
そしてある時は様々な音楽に柔軟に対応し、ある時は大きく吸収し、自己の音楽そのものに同機化してしまう。
実は、ガボール・サボウのジャズは聴きにくい面を持っている。聴く者が自らコミュニケートしていかなければ簡単に撥ね付ける。
何だ、この音楽は!?というやつである。しかし、聴く者がコミュニケートする姿勢を採ったときに、柔軟に受け入れる。いとも容易く受け入れられ、時には涙が出てくることもある。
その涙の所以は解からない。しかし、ガボールのソウルと自らのソウルが僅かばかりでも共鳴しあうところに涙が溢れてくるのである。
その涙の所以は解からない。しかし、ガボールのソウルと自らのソウルが僅かばかりでも共鳴しあうところに涙が溢れてくるのである。
最近のサボウのアルバムは手に入ることが多いが、impulse!時代のアルバムは品薄である。impulseは再版すべきである。
淡々と反復するギターリフは荒涼たる大地を寂寞として旅するサボゥの姿を映し出す。ある時は涙し、ある時は不安感に苛まれる。
そして、洒落男、伊達男のサボウのギターテクに踊りだし、フレンチポップの寂しさに涙を流す。そんなサボウは1986年2月26日、50歳に成らずして亡くなった。
:The Sorcerer
1. Beat Goes On
2. Little Boat (O Barquinho)
3. Lou-Ise
4. What Is This Thing Called Love?
5. Space
6. Stronger Than Us
7. Mizrab
8. Comin' Back
2. Little Boat (O Barquinho)
3. Lou-Ise
4. What Is This Thing Called Love?
5. Space
6. Stronger Than Us
7. Mizrab
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