無名のハードバッパーが遺した、たった一枚の無名のリーダーズアルバム「ALL MEMBERS/DON SLEET」
年末年始はゴミの山である。ゴミといっても街中にゴミが溢れているわけではない。
TV放送がゴミの山なのだ。この時期、キー局と呼ばれる日テレ、TBS、フジ、テレ朝、の製作の連中は休みに入る。休みに入るのは全くかまわない。人間ですから…。
しかし、休みに入るのは結構だが、休みの前に、くだらないゴミ番組を山のように出していく。
TVの前に座って、ゴミの山の前で、笑いながら「正月だなあ~」と口を開けている、我々こそいい面の皮である。
一山、ナンボの隙間タレントとピンの芸?では間が持てないエセ芸人がゴミの山となってハシタガネを稼ぎに周る。悲しい姿を見せ付けられる。
そのゴミどもの騒ぎ捲くり、ハシャギ捲くる姿を何日間も見せ付けられるのは辛い。
こいつらを操るのが高給取りの放送マスコミの連中である。報道人とは恐れ入る。自分らの都合の良い、操りやすいものをこき使う猿回しどもだ。
猿回しなどといっては「猿回し」の芸人に失礼である。所謂、悪徳商人だね。
2007年の就職人気企業84社の年収ランキング、NO.1になったのがフジテレビジョン。平均年齢39.7歳で年収1,572万円だと!
「泥棒に、追い銭」とはよく言ったものである。こんな企業が人気企業とは世の中狂っている。世も末である。
そもそも、こんなTV見なきゃ良い。しかし一言、言って置く。見ても見なくても、この莫大な制作費と広告宣伝料を支払うのは、企業じゃないぜ。消費者である。
この壮大なる無駄遣いは、全て商品価格に転嫁されている。とにかく、放送局を整理淘汰するか、即刻、放送時間の制限を設けることだ。原油も値を上げていることだし…。
先ずはNHKから始めることだ。
:ここに一枚のアルバムがある。 「ALL MEMBERS/DON SLEET」である。全く無名のハードバッパーが唯一遺したリーダーアルバムである。
録音日とメンバーに注目して欲しい。メンバーは言わずもがなであるが、1961年の3月7日と21・22日にマイルスディヴィスの「SOMEDAY MY PRINCE WILL COME」が録音されたのである。
つまり、ウィントン・ケリー(p)ジミー・コブ(ds)は、丁度コルトレーンが抜けた後の名だたるマイルスグループの録音の合間を縫って、全く無名のDON SLEETの唯一のリーダーズアルバムに付き合ったのである。マイルスもかなり意識していたに違いない
当時ロン・カーターは未だ、マイルスとは接触が無かった。ジミー・ヒースは1960年の5月にコルトレーンが抜けた後、数週間マイルスグループに加わったが保釈中だったため、ハンク・モブレーに変わったと言う事情がある。
DON SLEETは当時若干23歳。限りなくマイルスに近づいた瞬間である。しかし、若きハードバッパーに気負いも衒いも無く、ましてや模倣も無い。
飽くまでもソウルフル、ハードでジェントリー、そしてスマートさが身上である。
確かに、マイルスやドーハムの影響は免れ得なかっただろう。しかし、当時のウエストコーストにあってハードバッパーであったこと、そしてぶれない演奏がアルバム全曲を貫いていることを思うと全く異色のトランペッターが存在したものである。そして、異才、異能をこのアルバムでは充分に発揮しているのだ。
しかし、異端者は異才・異能を持って歴史の中に埋もれてしまうのである。いや、ジャズの場合は消し去られてしまう。
ジャズに白人も黒人もましてや日本人もない。しかし白人ハードバッパーがウエスト・コーストジャズのなかで成長することは難しかったに違いない。
そんなハンディを背負いつつも彼はウエスト・コーストを離れず、NEWYORKやイーストコーストに旅立つことも無かった。この後もロスに滞在を続け、BIGBANDのメンバーを続けたらしい。
そして異能者は無名で終わった。
このアルバムの中に、抜群のリズム隊をバックに、ヒースのバリバリテナーにスマートに対応しソロプレーを続けるDON SLEETの光輝く姿がある。
無名のものの無名のアルバムが残った。
☆:ALL MEMBERS/DON SLEET
レーベル:JAZZLAND
録音日:1961年3月16日
:DON SLEET(tp)
:ジミー・ヒース(ts)/ウィントン・ケリー(p)/ロン・カーター(b)/ジミー・コブ(ds)
1. Brooklyn Bridge Listen Listen
2. Secret Love Listen Listen
3. Softly, As In A Morning Sunrise Listen Listen
4. Fast Company Listen Listen
5. But Beautiful Listen Listen
6. All Members Listen Listen
7. The Hearing
TV放送がゴミの山なのだ。この時期、キー局と呼ばれる日テレ、TBS、フジ、テレ朝、の製作の連中は休みに入る。休みに入るのは全くかまわない。人間ですから…。
しかし、休みに入るのは結構だが、休みの前に、くだらないゴミ番組を山のように出していく。
TVの前に座って、ゴミの山の前で、笑いながら「正月だなあ~」と口を開けている、我々こそいい面の皮である。
一山、ナンボの隙間タレントとピンの芸?では間が持てないエセ芸人がゴミの山となってハシタガネを稼ぎに周る。悲しい姿を見せ付けられる。
そのゴミどもの騒ぎ捲くり、ハシャギ捲くる姿を何日間も見せ付けられるのは辛い。
こいつらを操るのが高給取りの放送マスコミの連中である。報道人とは恐れ入る。自分らの都合の良い、操りやすいものをこき使う猿回しどもだ。
猿回しなどといっては「猿回し」の芸人に失礼である。所謂、悪徳商人だね。
2007年の就職人気企業84社の年収ランキング、NO.1になったのがフジテレビジョン。平均年齢39.7歳で年収1,572万円だと!
「泥棒に、追い銭」とはよく言ったものである。こんな企業が人気企業とは世の中狂っている。世も末である。
そもそも、こんなTV見なきゃ良い。しかし一言、言って置く。見ても見なくても、この莫大な制作費と広告宣伝料を支払うのは、企業じゃないぜ。消費者である。
この壮大なる無駄遣いは、全て商品価格に転嫁されている。とにかく、放送局を整理淘汰するか、即刻、放送時間の制限を設けることだ。原油も値を上げていることだし…。
先ずはNHKから始めることだ。
:ここに一枚のアルバムがある。 「ALL MEMBERS/DON SLEET」である。全く無名のハードバッパーが唯一遺したリーダーアルバムである。
録音日とメンバーに注目して欲しい。メンバーは言わずもがなであるが、1961年の3月7日と21・22日にマイルスディヴィスの「SOMEDAY MY PRINCE WILL COME」が録音されたのである。
つまり、ウィントン・ケリー(p)ジミー・コブ(ds)は、丁度コルトレーンが抜けた後の名だたるマイルスグループの録音の合間を縫って、全く無名のDON SLEETの唯一のリーダーズアルバムに付き合ったのである。マイルスもかなり意識していたに違いない
当時ロン・カーターは未だ、マイルスとは接触が無かった。ジミー・ヒースは1960年の5月にコルトレーンが抜けた後、数週間マイルスグループに加わったが保釈中だったため、ハンク・モブレーに変わったと言う事情がある。
DON SLEETは当時若干23歳。限りなくマイルスに近づいた瞬間である。しかし、若きハードバッパーに気負いも衒いも無く、ましてや模倣も無い。
飽くまでもソウルフル、ハードでジェントリー、そしてスマートさが身上である。
確かに、マイルスやドーハムの影響は免れ得なかっただろう。しかし、当時のウエストコーストにあってハードバッパーであったこと、そしてぶれない演奏がアルバム全曲を貫いていることを思うと全く異色のトランペッターが存在したものである。そして、異才、異能をこのアルバムでは充分に発揮しているのだ。
しかし、異端者は異才・異能を持って歴史の中に埋もれてしまうのである。いや、ジャズの場合は消し去られてしまう。
ジャズに白人も黒人もましてや日本人もない。しかし白人ハードバッパーがウエスト・コーストジャズのなかで成長することは難しかったに違いない。
そんなハンディを背負いつつも彼はウエスト・コーストを離れず、NEWYORKやイーストコーストに旅立つことも無かった。この後もロスに滞在を続け、BIGBANDのメンバーを続けたらしい。
そして異能者は無名で終わった。
このアルバムの中に、抜群のリズム隊をバックに、ヒースのバリバリテナーにスマートに対応しソロプレーを続けるDON SLEETの光輝く姿がある。
無名のものの無名のアルバムが残った。
☆:ALL MEMBERS/DON SLEET
レーベル:JAZZLAND
録音日:1961年3月16日
:DON SLEET(tp)
:ジミー・ヒース(ts)/ウィントン・ケリー(p)/ロン・カーター(b)/ジミー・コブ(ds)
1. Brooklyn Bridge Listen Listen
2. Secret Love Listen Listen
3. Softly, As In A Morning Sunrise Listen Listen
4. Fast Company Listen Listen
5. But Beautiful Listen Listen
6. All Members Listen Listen
7. The Hearing