世の中、ゼニじゃない!!:フリーJAZZの孤高の陸封魚・吉沢元治「インランド・フィッシュ」
吉沢元治さんの「割れた鏡または化石の鳥」[PSFD-55] を聴きながら書いている。
世の風潮は「世の中、ゼニ!」に言い尽くされている感がある。TVをつければ、十把一絡げの自称タレント、自称芸人が「世の中、カネ、カネ」とばかりに騒ぎ捲くっている。
大阪人の名誉のために言っておけば、大阪人の大半は迷惑しているのである。TVに流れる大阪人のイメージも実は、彼奴らが紡ぎ出した「ゼニ儲け」のための幻覚なのである。
しかし、「ゼニ儲け」と言えば、グッドウィルの折口のヘアースタイルとラブホ紛いの社長室には笑った、笑った。働くものから生き血を吸う蛭はとっとと人前から消え去って欲しいものである。切に願う。
でも、横浜中華街の「吉本水族館」も噴飯モノであった。ビルを一棟買ったのかどうかは知らぬが、横浜中華街を穢していると言っても過言ではない。
まあ、難波花月ファンの自分としては苦汁を舐める思いがある。
:「世の中、カネじゃない」と言ったのが、日本フリーJAZZ界のインランド・フィッシュ、陸封魚・吉沢元治さんである。
私は吉沢さんの演奏は直には二度しか聴いていない。一度は1972年の「新潟・自由空間」で、もう一度はその後、詳しいことは忘れたが新宿であったろうと思う。
吉沢さんのベースは「巨木が語る」感がある。実は吉沢さん本人がワールドワイドなベースに自己を語らせているのである。
吉沢さんのベースに取り組む姿は孤高、孤独である。しかしそんな月並みな言葉には言い表すことが出来ないほど雄弁さかつ能弁さを秘めている。
吉沢さんはあるときには、山を語り、海を語る。あるときには都会の窓辺を語り、あるときには田舎町の夕暮れを語る。
そして、自分を語り、生活を語り、モダンJAZZの歴史を語り、生活苦をも含めた生きる苦しさを、そして光り輝く、明日を語るのである。
彼は、海から河口を上り、そして再び海に戻ることが出来なくなった陸封魚になぞらえられることが多いし、ご自身もそのように思われていた節がある。
しかし、吉沢さんがソロプレーに徹した経過は、単純なものではなく、人に語ることの出来ない深い事情と経緯があったに違いない。
そして、自らの「世の中、カネじゃないよ」の言葉に、ご自身の歴史と、日本JAZZ界の歴史を語る、巨大な老木の姿を見るのである。
私が間近にお会いしたときには、1972年だから当時、40歳を過ぎたばかりではなかったか。我が師匠、故野坂恒如氏と言葉を交わした。野坂氏は当時50歳前で、新潟に吉沢さんが来ると何くれとお世話をしていたようである。
「吉沢さん、終わったら古町で一杯やろうや~」と言葉を交わていた記憶がある。吉沢さんが酒飲みだったのかどうかは知らないが何度も丁寧に肯いておられた。
師匠曰く、「昔は、他のやつなら、進駐軍でバンドやって、キャバレーで歌伴やったりしたら銭がザクザクだったんだけどな。やつは最近、田舎で郵便配達か何かをしていたらしいよ。奥さんが病気になっちゃって、ソロになったんだけどさ。ホント、カネが無いんだよ。カネに欲が無いんだよ。かわいそうだけどな…でも、其処がやつのいいところだけどな…」。
吉沢さんは98年9月12日に肝臓癌でお亡くなりになった。しかし、フリーJAZZパフォーマンスは生きつづける。
吉沢さんのアルバムを年明けに聴くうちに、やはり捨てたもんじゃない!という気がしてきた。
:吉沢元治[インランド・フィッシュ](1975年4月)トリオ PAP-9020
Side A
1.インランド・フィッシュ
2.窓
Side B
1.フラグメント1
2.コレスポンデンス
1.インランド・フィッシュ
2.窓
Side B
1.フラグメント1
2.コレスポンデンス
吉沢元治 (b), 豊住芳三郎 (perc/B-2 only)
(*「インランドフィッシュはLPしか持っていないため、写真はafter[AA](c)2006 から借用いたしました。)