働けど…、働けど…、この国のかたちは…
新潟出張から帰ってきた。朝一で新潟へ行き、とんぼがえりで、六時には帰社すると言う日程であった。
ハードスケジュールと言うよりは、忙しくて、忙しくて…、と言うところである。
日本人は不思議な国民である。年末が近づくと、気が急くらしい。たかが月が変わるだけではないか。怒りにも似た気分が沸いてくる。
しかし、聴きたいものは聴きたい、読みたいものは読みたい。2時に寝て6時に起きるという事を繰り返しているので、ふらふらである。
しかし、「忙しい、忙しい」と言うのは些か品がない。忙しいのを誇っているのではなく、所謂、ビンボー暇なしというやつだろう。
忙しいのは下品でいやだ。カネが有り余っている人たちの生活や考え方を聞いてみたい思いに駆られる。
しかし、この日本は一体どうなってしまったのだろうか。非正規雇用者が1726万人と労働人口の三分の一(33.7%)を超えている。
(*ちなみに、通年勤務の給与所得者の23%、1023万人が、年収200万円以下、ネッカフェ難民、約5400人以上、ホームレスの数、25,500人以上)
(*ちなみに、通年勤務の給与所得者の23%、1023万人が、年収200万円以下、ネッカフェ難民、約5400人以上、ホームレスの数、25,500人以上)
大半が1000円程度の時給で不安定就労の生活を強いられている。日本経済の構造不況の原因はここにある。
日米構造協議以来の長い歴史の中で、日本の財界は労働分配率を労働者側から経営側に大きくシフトさせることにより、危機を乗り越えてきた。
危機を乗り越えてもなお、国際競争力の維持と称して、所謂「ダム論」を展開してきた。経営と言うダムにどんどん金を溜め込むことによっていつかはダムからカネが流れ出し、労働者や日本経済を潤すと言う手前勝手な論理である。
成果主義でデコボコを創ることにより、幻想を振りまきながら総体としての支払い賃金を抑制する。酷い話になれば切り縮める。
その挙句がこの不況である。この構造は、このダム論と国際競争力幻想を打ち破らない限り続くに違いない。
そもそも、国際競争力が在った結果として現在の日本経済がある。国際競争力は低賃金労働のみの所産ではなく、年功序列賃金制度と終身雇用という安定した労資安定成長の中での技術研究開発と習熟労働の結果の所産だったのである。
低賃金・不安定就労の中での日本の国際競争力など望むべくもない。
ましてや、購買力の源泉は労働者にあり、消費者イコール労働者であることを理解しようとしない。
消費者人口の大半を占める労働者の三分の一が非正規雇用、不安定就労にさらされている中で、購買力の拡大や安定消費など望むべきも無い。
消費の拡大など夢のまた夢である。特にローンが大型消費を牽引する力となっている日本ではローンを安定的に支払い続ける、給与収入の安定的な確保が必要である。
給与収入の安定的な確保は正規雇用に裏付けられるのは自明の理である。
そもそも、この国のかたちがない。日本は戦後、憲法九条を担保として安定雇用を前提とした教育立国論で進んできた国だったのである。
いつのまにか、このかたちが忘れ去られてしまっている。
働けば働くほど、学べば学ぶほど、から、働けど…働けど…の堕落した国になってしまった。
次に起こる事は自ずと明らかである、治安の悪化である。