ryukyutokyoのブログ:JAZZと哲学と…

DJ.PANK_kunryu (Dj.薫琉)です。東京ヴェルディと沖縄をこよなく愛する、酔っ払い🥴パンクスです。1955年3月新潟市生れ新潟高校ジョリー・チャップス、上智大探検部出身。40年間勤務した職場を大怪我、肝機能障害、糖尿病、過緊張症で退職しました。現在、アルバイトをしながら療養中です。ゴールデンカップス他GS、freeJAZZ、ムードコーラス歌謡

眠れぬ夜はナンシー梅木…~!

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 一日は、BOSEから流れる、NHK-FMの「ミュージック・リラクゼーション」で終わる。AM0:10。「ラジオ深夜便」が始まる頃には眠りに落っこちている。

 タイマーでAM1:15分にきれ、6:00には「バロックの森」が鳴り出す。一日の始まりである。

 寝る前には、本や新聞を読みながら、フリーJAZZやモダンJAZZを中心に、二枚ほど聴くのが日課なのだが、落ち着かないときには、「ナンシー梅木」を聴くのである。

 余り、最後まで聴くことは無い。何故か、12. サヨナラ 13. マイ・イチバン・トモダチ 14. 今宵夢で(ヴァイア・コン・ディオス) 、ここら辺りで良い気持ちになり、眠ってしまうのだ。

 ナンシー梅木さんは、日本の本格ジャズ・シンガー第1号といわれた女性で北海道小樽市出身。進駐軍周りの中で、進駐軍兵士の中で絶大な人気を誇った。

 後にハリウッドでも女優として大活躍。1957年のワーナー・ブラザーズ映画「サヨナラ」で助演女優賞を受賞し、東洋人として初のオスカー受賞者になった方である。

 ナンシー梅木さんのハスキーヴォイスを聴くとついつい、胸がキューンとしてしまう。歳をとると、涙腺が緩んでくるのだ。

 ハスキーセクシーといっても青江美奈さんではない。もっと、ヘビーでキュートなのである。

 どちらかというと、クリスコナーをイメージしてください。それも、アトランティック時代(1956~1958、辺りか)のクリスです。

 でも、決してクリスコナーのコピーではない。なんせ、ナンシー梅木さんのほうが古いのだから。

 ナンシー梅木さんを初めて聴いたときの衝撃は、丁度、荒井由美のデェビュー曲「きっといえる」「ひこうき雲」をTBSラジオのパックインミュージック金曜第二部、今は亡き、「ミドリブタ」林義雄さんの番組で聴いたときの衝撃と同じものであった。

 ひたすら、不思議、ひたすらキュート、ひたすら胸を抉ってくる歌声。そんなところか。

 最近では、睡眠薬代わりであるが、是非とも一度は聴いていただきたい歌声である。

 なお、ナンシー梅木さんは今年の8月にお亡くなりになりました。合掌