パンタレイ!!頭脳警察/ 万物流転 :!?贋・「この野郎!キラーチューンだな・・」44
リニュアルしました。
別に、何が変わったというわけでもないのですが…
カレーハウスの「壱番屋」創業者の宗次徳二氏が嬉しいことを仰っていた。
彼が生きがいを感じるのは次の五つだそうである。
1、早起きをする。(寝るよりも読書)
2、地域清掃をする。(地域活動をする)
3、花を育てる。(土に親しむ)
4、クラッシック音楽を聴く。(ジャズやロックを聴く)
5、チャリティーをする。
カッコ内は私である。5番は一致する。
宗次氏は路上生活者の支援を積極的に行なっている方である。
彼曰く、「寒空の下で、生死をかけての生活ぶりを見て見ぬ振りができない。何も行動しないと私自身が納得できないから、している。
路上生活に至った理由は様々だろう。私の支援などは微々たるもので、さほど役にも立たないかもしれない。よかれと思ってしていることでも、中には批判的に見る人もいるだろう。
こうしたことでふと思う。心の満足を何でじっかんするのかは人それぞれで異なる。私は路上生活の人々のお手伝いに少なからず喜びを感じている。」(東京新聞より)
万物流転。一寸先は目に見えない。路上生活の人々に起きたこと、起こっていることは私にも貴方にも起こる、ということだ。
しかし、過去が降り積もって現在があるという考えには、組しない。人間は過去により縛られているのではなく、未来に規定されるからである。時間は未来から現在に流れている。
故に、釈迦の言う、「絶対無。故に輪廻転生などない」は正しいのである。
“失われた日本の20年”のなかで、日本と日本人は“甘さ”と“勝手な思い込み”を露呈した。
“働けば報われ”いずれは“周囲も世界も認めてくれる”という受容への甘き期待、“現在のルールは今後も変わらない”という甘い夢。
そして、“企業は個人を守る、国は生活者を守るというグループイズム”。
そして、国際経済、国際社会は均衡するという、予定調和説。
ルールは変わる。都合が悪くなれば相手は勝手にルールを変える。
勝負は個人戦である。国際社会では、自国優先主義で市場戦に持ち込むのが国際ルールである。
日本経済は「デフレ」と「減っていく年収」、「就職機会の減少」に悩まされ、価値観も変わってきた。少子高齢化が社会潮流である。
市場は減少していく。そして切り取られていく。
政治はポピュリズムに陥り、政策立案能力どころの話ではない。期待感さえもない。
変革を標榜したものが超保守主義にいつのまにやら変貌を遂げる。
閉塞感を突破しようと努力しても、成功体験に凝り固まり、マニュアル化してしまった組織や社会はそんな努力などには見向きもしない。
「ぬるま湯に漬かりきった蛙」は「沸騰しつつあるぬるま湯の居心地から飛び出せない」。
飛び出さなければ死に至る。
V字回復にはリスクを取る事が必要だ。冷や水に飛び込む覚悟が必要だ。
その覚悟があるのかどうか。
“万物は流転する”破壊も必要である。
破壊する勇気が必要だ。