荒削り!なハンマー・ピアノとアーシーなSAX:The World of Cecil Taylor
昨晩は、月一の通院日でした。
だいぶ酒を抜き、6月は12日間、7月は16日間抜いた結果がコレ!6.2%から6.4%に上がっちゃいました。
間食が悪かったのですね~。甘い物好きなものですから…
『ぼくみたいに糖尿病で不快指数がふえると、モダン・ジャズの鑑賞にも影響するのを発見したが、それでも新しいレコードや面白そうな洋書にぶつかると気持ちがよくなってくる。』だそうだ。
J・J氏は酒は一滴も飲めないのに糖尿病だったらしい。不快指数がふえると言うことなので重かったのでしょうね。
ナット・ヘントフという主張するJAZZの理解者が創設し、アッという間、9ヵ月で潰れてしまったCANDIDですが、この作品を世に送り出せたのは、当時、このレーベルくらいだったでしょう。これが定説ではあります。
しかし、CANDIDのほかのプレーヤーの作品を聴いてみても、CANDID臭さというものが如実に現れています。
強烈なバップティズムを背景に反逆の焔をメラメラ燃やしながら、かつ主張とストレートする。そんな気がします。
セシル・テイラー自身は音楽とパフォーマンス以外では主張や発言を表に出すことは滅多にありません。
ですから、評価することはできても、評することは本当に難しいJAZZマンではあります。
つまりは真正面から聴いて、何を感ずるのかでしょうね。
しかし、その作品が発揮する、強烈な個性は聴くものに、その何かを感じさせずには於きません。
Lazy Afternoonでは「インティメイトな情感を…」(植草)アーチー・シェップのレイジーなブルースをバックにソロで訴えかけ、叩きつけるような荒削りのハンマー・ピアノでエモーションを高揚させ、 Buell Neidlingerを加えた三位一体の統一へと導いていきます。
つまりは、CANDIDの演奏家たちはレーベルのなかで、何を発見し、何を訴えていくのかが課題であったのに違いありません。
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