中山ラビ「夢のドライブ/ラビ・ヒラヒラ より…」 投げやりで突き放すような彼女のシャウトと洪栄龍のエレクトリックギターが冴え渡る贋・「この野郎!キラーチューンだな・・」9
写真は昔々~国分寺のほんやら洞の中山ラビさんこと宮本○○さん(本名は守秘義務があるため明かせません)から頂いた、やっとのことCDで再リリースされた「ラビ:ひらひら」のCDです。なんと、勿体なくて頂いて15年経った今でも未開封のまま…
もっぱら、ラビさんがサインしてくれなかった35年前のLPを聴いています。
中山ラビさんを初めて聴きに行ったのは1974年の秋でした。
なぜか、お客が沢山居て、席が無く、二人でラビさんの真ん前に席を作ってもらいました。
なんとラビさんのお顔から約60センチメートル…「お兄さん~、近すぎて恥ずかしいわねぇ~」とか言いながらグラマラスなラビさんがギターを抱えてガンガン歌ってくださいました。
その時のピアノが坂本龍一氏、藝大を卒業したばかりで長髪で髭、ラビさんは赤い鼻緒の下駄、坂本氏も何故かピアノに下駄。当時、キース・ジャレットに凝っていたらしく、キースばりのソロを人の迷惑を顧みず、延々と弾いていたのが印象的でした。
時は経ち、1991年前後にラビさんは、ご主人の容さんのご友人のご紹介でわが社のクライアントになりました。
当時の私の部下が彼女の担当で、一緒にお店にお邪魔したときに、すっかりスマートになりスッピンのラビさんと坂本氏や洪栄龍氏のこと、友部正人氏のことなどをお話しながら「今度、LPにサインをしてください」とお頼みしたのですが…私がLPを持っていることにいたく感激されてましたが、「サインはもう現役でないからイイワヨ…」。「CDでの再リリースも、ヒラヒラの原版が見つからず、版権もはっきりしなくて難しい」とお話されていました。
しかし、3年が経ち、やっとCDが再リリースされたとき、私の部下に「前にサイン断っちゃったから…部長にあげて」とこのCDを託してくれました。
真に義理堅い方です。
97年に容さんが亡くなられ、ラビさんも完全復帰。すっかりイメージチェンジされて現在も活躍されています。
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