ryukyutokyoのブログ:JAZZと哲学と…

DJ.PANK_kunryu (Dj.薫琉)です。東京ヴェルディと沖縄をこよなく愛する、酔っ払い🥴パンクスです。1955年3月新潟市生れ新潟高校ジョリー・チャップス、上智大探検部出身。40年間勤務した職場を大怪我、肝機能障害、糖尿病、過緊張症で退職しました。現在、アルバイトをしながら療養中です。ゴールデンカップス他GS、freeJAZZ、ムードコーラス歌謡

「ザ・テンプターズ /忘れ得ぬ君」ヨッチンこと松崎由冶の泣きが凄い!贋・「この野郎!キラーチューンだな・・」7

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ザ・テンプターズ / 忘れ得ぬ君


 テンプターズと言えば「忘れ得ぬ君」でしょう。

 メンバーは
松崎由治(ヨッチン )、リーダー、リードギター、ボーカル
萩原健一ショーケン)、ボーカル、ハーモニカ
田中俊夫(ブル、1997年没)、サイドギター、オルガン
高久昇(ノボル)、ベース
大口広司(ヒロシ、2009年1月25日没)、ドラムス

 さて、テンプターズは1966年に埼玉県大宮市で、萩原、大口を除いて、早稲田実業高校生を中心に結成されたアマチュア・バンド、テンプターズが前身です。

・「その後、ジャズ喫茶の演奏中に飛び入りした萩原、弟バンドのジュニア・テンプターズから大口が参加し、1967年春頃にデビューメンバーが揃いました。
 1967年5月にザ・スパイダース田邊昭知が設立した芸能プロダクション、スパイダクション(現・田辺エージェンシー)にスカウトされ、ザ・スパイダースの兄弟バンドとして売り出しが図られました。」

 カッコ内は表向きの事情。実は、当初メンバーではデヴューができなかったのです。
 リーダーの松崎は歌も上手いし、ギターも上手い、「忘れえぬ君」に代表されるように作詞・作曲もできる多才人。

 しかし、松崎は唇が厚くアヒルガオ、オバサン受けはしても若いオンナ受けしない。

 当初のドラムも顔がワルイ。顔がワルイのはブルとノボルだけで沢山!おまけにドラムは半拍遅れる。これは致命的…

 ということで、ナベプロ社長の条件はドラムを首にし大口を入れる。

 当時、与野市でダイケン、チュウケンとともに番を張っていたショーケンを入れてメインボーカルに据えるということだったそうです。

 大口はショーケンの中学友達、同じ不良仲間だがオンナにモテたそうです。

 しかし、当時のナベプロにはタイガースがいました。

 ザ・タイガースは当時のナベプロの花形だった内田裕也が、1966年にタイガースの前身であるファニーズを見付け、ナベプロに紹介。

内田裕也とタイガース」として活動していたところ、当時未成年であったタイガースのご両親とナベプロがいつのまにやら契約成立。ナベプロの金看板として売り出したのです。(内田裕也はその裏切りに怒り!翌年ヨーロッパに飛び出してしまいます。)

 当然、ナベプロとしてはテンプターズを用意させてましたが、タイガースとテンプターズ両バンドを抱えるのもなんとやら、渡りに船でテンプターズ田邊昭知に売り渡してしまったのでした。

 この話は私の長年の知り合いである須○雅○氏から聞きました。

 まあ、大した話ではないのですが…

 この、須○雅○氏こそ、首になった当初メンバーのドラムでした。

 しかし、ブルちゃんは白血病でなくなり、ヒロシさんも今年の1月に肝臓ガン亡くなってしまいました。

 改めて、若くして逝ったお二人に合掌…



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