ryukyutokyoのブログ:JAZZと哲学と…

DJ.PANK_kunryu (Dj.薫琉)です。東京ヴェルディと沖縄をこよなく愛する、酔っ払い🥴パンクスです。1955年3月新潟市生れ新潟高校ジョリー・チャップス、上智大探検部出身。40年間勤務した職場を大怪我、肝機能障害、糖尿病、過緊張症で退職しました。現在、アルバイトをしながら療養中です。ゴールデンカップス他GS、freeJAZZ、ムードコーラス歌謡

マモル・マヌーの苦悩の歴史を物語る~:「長い髪の少女:ソロ・コレクション'70~74」

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 調子が良くなり、80%戻りましたので、久々のブログです。

 私が良くお邪魔する、ブログ訪問先の tubuyakitony兄(家人の実家がある、私の第二の故郷に在住の方で年齢的には目上の方)が、

 http://blogs.yahoo.co.jp/tubuyakitony/19678220.html  で亡くなったデイヴ平尾さんの「横浜ルネッサンス~ゼブラクラブとIDカード 」を素敵に紹介されていました。

 実は、このアルバムは持っておらず、tubuyakitony兄のこのブログは恥ずかしながら見落としていました。もはや手に入り難いらしいです。

 私は未だトラックバックの技術が理解できず、初歩的なミスを犯してしまいます。

 てなわけで、カップス話をUP致します。

 今回はマモル・マヌー氏です。

 マモル・マヌー、本名:三枝守、1949年の6月3日生まれ。 

 山口県の生まれですが、すぐに横浜に移り、横浜で育ちました。アメリカ人とのハーフとされていましたが、ご存知の通り、日本人です。

 彼の叔母さんがマヌー氏というハワイ人の方と結婚され、ハマのベース内に住んでいたので、商業的ウリでハーフのマモル・マヌーとなったわけです。

 当時のオール・グループサウンズ名鑑(1967年・平凡10月号第2付録)の紹介は面白いですよ~。

 :The Golden Cups ザ・ゴールデン・カップス(金のカップ
 オール二世のサウンド・グループ。グループ結成のとき、本場で修業しようと全員アメリカで勉強して、ステージの経験をもったという頑張りグループです。(注:アメリカに行ったことがあるのは当時はデイヴ氏、エディ氏、ケネス氏だけ…)

・デイブ・平尾 S20.11.17/横浜市(ボーカル)
日本大学在学中。身長168センチ、体重60キロ。性格は温和。好きなアーチストはマンフレッド・マン。好きな土地はサンフランシスコ。趣味はドライブにつり。アダ名は時坊。

・ルイズルイス加部 S24.11.5/横浜市(ベース・ギター)
グループ最年少でグループで最高に女の子にもてる。国籍はフランス。身長178センチ、体重55キロ。性格は明朗。好きなアーチストはヤードバーズ。趣味はスキン・ダイビング。(注:彼は水が苦手です…ジョークですね)

・エディ潘 S22.6.22/横浜市(リード・ギター)
出身地・香港。国籍はイギリス。アメリカンスクール卒。身長170センチ、体重65キロ。性格は無口。好きなアーチストはビートルズ。趣味は電気器具いじり。アダ名はコーチャン。(注:割と正確な記載です)

・マモルマヌー S24.6.3/横浜市(ドラム)
国籍はアメリカ。父がアメリカ人。身長175センチ、体重60キロ。性格は内気。好きなアーチストはゼム。趣味は演劇。スポーツはバスケット。ニックネームはマモル。(注:演劇はジョークですね!)

・ケネス伊東 S21.1.1/横浜市(リズム・ギター)
出身地はハワイオアフ島。国籍はアメリカ。アメリカンスクールを卒業。身長165センチ、体重62キロ。好きなアーチストはチャック・ベリー。趣味はボーリング。

 …ね、面白いでしょう。

 マモル・マヌーはルックスの良さで群を抜いており、カップスの中でもルイズルイス加部さんと双璧の人気がありました。

 加部氏に言わせると「一番モテたのはマモル」だそうです。

 しかしメンバーのエディさんに語らせると「マモルは筋金入りのハマの不良!」だったそうで、現在の彼を観ると説得力があります。(私は昔、彼が一時、タイガース・メモリアル・クラブバンドにいた頃、我社のイヴェントにお呼びして大阪の万博会場跡でホンの少しだけ、お会いしたことがありますが、全く不良ッポクて人を寄せ付けない怖い雰囲気に大いにビビッタモノです。その点、アイ高野氏は優しかったなあ~。最近では2~3年前、我社の近くの赤坂のパチンコ屋付近によくいらっしゃいました。)

 ヴォーカリストとしては、その甘くて伸びのあるヴォーカルは各とした存在感があり、「長い髪の少女」の大々ヒットでカップスを一躍スターダムに押し上げたのも、ワイルドにシャウトするデイヴさんと甘く伸びのあるマモル氏のヴォーカルの絡みがあったからでしょう。

 その実力はファースト・アルバムでのライチャス・ブラザーズの「アンチェインド・メロディ」のカヴァーに明らかです。

 彼のドラミングはミッキー吉野氏が絶賛するとおり、粘っこいがキレがある、本格派のブルーズ・ドラマーでしたが、本人はドラムよりは唄の方に自信があったらしく、69年末に早々とカップスを脱退。ドラムもやめてソロ・シンガーに転向してしまいました。

 当時の東芝のディレクターにソロ・デビューを誘われたのがきっかけとなり、カップスのホーン・アレンジ等をやっていた鈴木邦彦氏に歌の師事をしました。

 しかし、売れませんでした。全く売れませんでした。ある時は「ゆうき剛」と改名し、ある時はど演歌を歌い、苦労に苦労を重ねてきました。

 その歴史を物語るのがこのアルバムです。実はなんとも…このアルバムにはなかなか手が出なかったのです。

 しかし、勇気を出し昨年の春に購入しました。聴きました。嵌りました。嵌められてしまいました。

 なんと表現したらよいのか…。月並みですが苦労と苦悩の歴史がたっぷりギュウギュウに詰め込まれているといったところでしょうか。

 特に「雨の街」、「青春のどこかで」は名曲です。泣けます…

 :今なら出来る~今なら出来る~  死ぬ事だぁって~(「雨の街」より)
 

 (曲 目)

1. 水の流れのように
2. 長い髪の少女
3. 今日でお別れ
4. 雨の街
5. 雪が降る
6. ガラスの部屋
7. 今は二人
8. 愛と死の世界
9. 燃えつきた涙
10. 霧の摩周湖
11. サンゴ礁の娘
12. 少年時代
13. 夕陽は傷だらけ
14. 白い雨
15. ふたりの舗道
16. 北国の別れ
17. 一人
18. もう一度人生を
19. 黒い海
20. 赤い傘
21. 青春のどこかで
22. 昨日の街ヨコハマ

:2007年12月12日発売 / 2,800円 (税込) / YRCL-6003 / アルバム/コンパクトディスク(12cm) / 70分42秒 (株式会社ヤマト楽器店 / YAMATO RECORDS)


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