ryukyutokyoのブログ:JAZZと哲学と…

DJ.PANK_kunryu (Dj.薫琉)です。東京ヴェルディと沖縄をこよなく愛する、酔っ払い🥴パンクスです。1955年3月新潟市生れ新潟高校ジョリー・チャップス、上智大探検部出身。40年間勤務した職場を大怪我、肝機能障害、糖尿病、過緊張症で退職しました。現在、アルバイトをしながら療養中です。ゴールデンカップス他GS、freeJAZZ、ムードコーラス歌謡

馳星周の『弥勒世』(みるくゆー)で沖縄を再び考える。

http://www.youtube.com/embed/wXjs5MpPRtw
沖縄コザ暴動 - 1970


馳星周の『弥勒世』(みるくゆー)上・下を読み終わりました。

佐野真一の「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」という分厚い本を読み終わった後、何気なく図書館で馳星周の『弥勒世』を手にしたのでした。

佐野真一の「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」についてはまたいずれ、紹介したいと思いますが、特に気になった箇所が三点ほどありました。

 一つは、ウチナーのやくざ社会の歴史。やくざ社会のことを「アシバー」と言います。二つ目にはウチナー人の八重山諸島を始め宮古奄美諸島出身者への差別のこと。

 三点目にはコザ暴動のことです。

 いやはや、『弥勒世』を読んでみたら、そのものズバリの作品でした。

 弥勒とは仏教に於ける弥勒菩薩のことで、いつの時代からか、沖縄では古来のニライカナイの信仰と合体して、海の彼方の楽土から豊年を運んでくる五穀の神と考えられ、豊年のことを弥勒世(ミルクユー)とか弥勒世果報(ミルクユガフー)と称するようになったといわれています。

 弥勒神は現在、沖縄全域にわたって伝承されている来訪神で、七福神の布袋(ほてい)様の仮面を被ることで知られており、布袋様は中国の弥勒仏の変身した姿とされています。

 沖縄での弥勒信仰の発祥地は首里といわれ、「赤田首里殿内 黄金灯籠さげて あれがあかがれば 弥勒世果報」と歌われています。

 詳しく言えば、赤田首里殿内節 (シーヤープ節)の中に次のように歌われています。
 
 一、「赤田首里殿内 黄金灯籠さぎて うりが明かがれば 弥勒う迎け」
 あかたしゅんどぅんち くがにどぅるさぎてぃ うりがあかがりば みるくうんけー
 赤田(の)首里殿内(に)黄金(色の)灯篭(を)下げて それが明るくなれば 弥勒(さまを)お迎え

 :あかたは現在の首里赤田町で、しゅんどぅんちは「首里の赤田にあった女神官の居所」のことです。

 二、 「大国の弥勒 我が島にいもち うかけぶせみしょり 弥勒世果報」
たいくくぬみるく わがしまにいもち うかきぶせみしょり みるくゆがふ

 :大国の弥勒(さま)我が村(島)にいらっしゃって 御支配ください、ということでしょうか。 

 やはり、小説の筋立てや、中身を紹介・批評するのは、フェアではありません。

 ただ、馳星周氏、お得意の単なる「ノワール小説」ではありません。そうであれば、最近の私は直ぐに投げ出していたでしょう。

 時間の無駄ですから…

 最後まで引き込まれたのは、史実に忠実であること。それに、沖縄が抱え込まんで来た差別の問題。そして背負い込まされた、数え切れない問題。それに真正面から対峙した作品に出来上がっていることです。

 認識を明確にしておかなければならないのは、沖縄は中国ではなく、アメリカではなく、大和でもなく…。

 かつては琉球王国であったということです。支配者は猫の目のように変わろうとも、この事実は決して変えることが出来ません。

 ご都合主義で史実を変更することは間違っているのであり、真実から目を逸らし、認識の方法を放棄することになってしまいます。

 お楽しみはこれからです。騙された…と思って、一度読んでみて下さい。

 そして考えていただければ幸いです。口幅ったいですが…

 注:なお、弥勒世信仰については「西原町文化財 」を参考にさせていただきました。

 また、div**hotoさんのブログも参考にさせていただきました。有難うございました。
 http://blogs.yahoo.co.jp/div_photo/56309185.html


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