馳星周の『弥勒世』(みるくゆー)で沖縄を再び考える。
馳星周の『弥勒世』(みるくゆー)上・下を読み終わりました。
佐野真一の「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」という分厚い本を読み終わった後、何気なく図書館で馳星周の『弥勒世』を手にしたのでした。
佐野真一の「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」についてはまたいずれ、紹介したいと思いますが、特に気になった箇所が三点ほどありました。
一つは、ウチナーのやくざ社会の歴史。やくざ社会のことを「アシバー」と言います。二つ目にはウチナー人の八重山諸島を始め宮古、奄美諸島出身者への差別のこと。佐野真一の「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」という分厚い本を読み終わった後、何気なく図書館で馳星周の『弥勒世』を手にしたのでした。
佐野真一の「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」についてはまたいずれ、紹介したいと思いますが、特に気になった箇所が三点ほどありました。
三点目にはコザ暴動のことです。
いやはや、『弥勒世』を読んでみたら、そのものズバリの作品でした。
弥勒とは仏教に於ける弥勒菩薩のことで、いつの時代からか、沖縄では古来のニライカナイの信仰と合体して、海の彼方の楽土から豊年を運んでくる五穀の神と考えられ、豊年のことを弥勒世(ミルクユー)とか弥勒世果報(ミルクユガフー)と称するようになったといわれています。
詳しく言えば、赤田首里殿内節 (シーヤープ節)の中に次のように歌われています。
一、「赤田首里殿内 黄金灯籠さぎて うりが明かがれば 弥勒う迎け」
あかたしゅんどぅんち くがにどぅるさぎてぃ うりがあかがりば みるくうんけー
赤田(の)首里殿内(に)黄金(色の)灯篭(を)下げて それが明るくなれば 弥勒(さまを)お迎え
一、「赤田首里殿内 黄金灯籠さぎて うりが明かがれば 弥勒う迎け」
あかたしゅんどぅんち くがにどぅるさぎてぃ うりがあかがりば みるくうんけー
赤田(の)首里殿内(に)黄金(色の)灯篭(を)下げて それが明るくなれば 弥勒(さまを)お迎え
:大国の弥勒(さま)我が村(島)にいらっしゃって 御支配ください、ということでしょうか。
やはり、小説の筋立てや、中身を紹介・批評するのは、フェアではありません。
時間の無駄ですから…
最後まで引き込まれたのは、史実に忠実であること。それに、沖縄が抱え込まんで来た差別の問題。そして背負い込まされた、数え切れない問題。それに真正面から対峙した作品に出来上がっていることです。
認識を明確にしておかなければならないのは、沖縄は中国ではなく、アメリカではなく、大和でもなく…。
かつては琉球王国であったということです。支配者は猫の目のように変わろうとも、この事実は決して変えることが出来ません。
ご都合主義で史実を変更することは間違っているのであり、真実から目を逸らし、認識の方法を放棄することになってしまいます。
お楽しみはこれからです。騙された…と思って、一度読んでみて下さい。
そして考えていただければ幸いです。口幅ったいですが…
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