「こどもの日」に考える。:告発するJAZZ!・「Sing Me a Song of Songmy /Freddie Hubbard」(邦題『ソンミの歌』) 1971/1/21
こどもの日は、1948年に公布・施行された祝日法によって制定されたが、古来の端午の節供の日に該当する。5月5日が祝日なのに、3月3日のひな祭りが祝日にあたらないのは男女差別である、という意見もあるのもうなずける。
一方で、本日、5月5日は、大型連休(いわゆるゴールデンウィーク)の中の1日でもあるので、「都合が良い」という意見もある。
一方で、本日、5月5日は、大型連休(いわゆるゴールデンウィーク)の中の1日でもあるので、「都合が良い」という意見もある。
私の意見は、「こどもの日」は1989年11月20日に第44回国連総会で採択され、わが国では、羽田孜内閣時代、1994年4月22日に批准し、1994年(平成6年)5月22日に効力を発生した「児童の権利に関する条約」(こどもの権利条約)に合わせるべきであると考えている。
しかし、その条約の日本国民の知名度はまだ高くはない。
日本国内で人が行動するにあたり、その行動を制限するのは法律である。しかし法律は、日本国憲法をはじめとした国内法だけ、と思うのは全くの早計である。
こどもの権利条約(児童の権利に関する条約)は、参加各国の国内における法律も規制しているのであり、総全文54条からなるものだが、児童(18歳未満)の権利については、児童もまた人間であること、大人とは違うこと、そして児童にも権利があるというものである。
そして、この条約が重要且つ画期的なことに、日本においても「武力紛争における児童の関与に関する児童の権利に関する条約の選択議定書 」(平成16年9月2日効力発生)が批准されたことである。
そして、この条約が重要且つ画期的なことに、日本においても「武力紛争における児童の関与に関する児童の権利に関する条約の選択議定書 」(平成16年9月2日効力発生)が批准されたことである。
この選択議定書は、武力紛争における関与から児童を一層保護するため、18歳未満の自国の軍隊の構成員が敵対行為に直接参加しないこと(敵対行為への参加の禁止)。
自国の軍隊に志願する者の採用についての最低年齢を引き上げることなど(子供の徴兵の禁止)について定めたものである。
自国の軍隊に志願する者の採用についての最低年齢を引き上げることなど(子供の徴兵の禁止)について定めたものである。
・『7.学校における国旗・国歌の指導は,児童生徒等が自国の国旗・国歌の意義を理解し,それを尊重する心情と態度を育てるとともに,すべての国の国旗・国歌に対して等しく敬意を表する態度を育てるためのものであること。その指導は,児童生徒等が国民として必要とされる基礎的・基本的な内容を身につけるために行うものであり,もとより児童生徒等の思想・良心を制約しようというものではないこと。今後とも国旗・国歌に関する指導の充実を図ること。』何も解かっていない…情けない。
こどもの日に考えるべきことは、子供の未来と現在である。現在の紛争と戦争から、そして未来に想起しうる紛争と戦争から子供を守ることを考える日である。
子供は全人類の宝であり、未来創造力の宝庫である。
戦争これほど国家悪がむき出しになり、個人のエゴイズムと権力者のエゴイズム、そして宗教のエゴイズムを巻き込み、さらには民族的エゴイズムを露呈させる舞台はない。
そして、犠牲者はいつも子供たちである。
1971年当時、日本のJAZZ界に衝撃をもたらしたエポック・アルバムである。
このアルバムのテーマである「ソンミ虐殺事件」とは言わずもがなの1968年3月16日に、南ベトナムに展開したアメリカ陸軍のW・カリー中尉率いる第23歩兵師団第11軽歩兵旅団第20歩兵連隊第1大隊C中隊が南ベトナム・中南沿海地方 クアンガイ省のソンミ村を襲撃し、無抵抗の村民504人を虐殺した事件。
当初は村民に対する虐殺ではなく「南ベトナム解放民族戦線のゲリラ部隊との戦い」という虚偽の報告をしたが、翌年12月にアメリカの雑誌「ニューヨーカー」のセイモア・ハーシュ記者がこの事件を報じ、アメリカ軍の歴史に残る大虐殺事件が明らかになった。
当然ながら、この手のJAZZアルバムの当時の日本での評価はチマチマしたものであり。多くの評判が、Freddie Hubbardという、ビックネームとも相まって、相変わらずの日本人の曖昧性と腑抜け性、そしてコロニアム根性を露呈したものであった。
曰く、「Freddie Hubbardの作品として聴くべきものを持たない」「JAZZではない」「JAZZに政治は必要ない」「『ソンミ虐殺事件』とは関係なく聴けば結構よいのではないか」「Freddie Hubbardの駄作」等々。
そのような中、日野皓正氏がS・J誌1971年9月号にこのアルバムについて、次のような意見を寄せている。
「…<政治と音楽>…難しい問題である。社会生活を営んでいる以上、政治は必ずその生活の中に反映されるという事実。その事実を音楽の中に表現するというのは、ミュージシャンにとってもっとも純粋なる人間的行為ではないだろうか?
ミュージシャンの表現するものが美、愛、破壊のどれであろうと、ぼくはそれ以上に何かシリアスなものをこのレコードから感じる。(中略)…
彼ら<黒人社会>においては<人種>ということがすべての問題の前提にあるということは自明の理である。ともあれ、人間愛、人類愛に関し疑問を感ずることの多い昨今である。」
ミュージシャンの表現するものが美、愛、破壊のどれであろうと、ぼくはそれ以上に何かシリアスなものをこのレコードから感じる。(中略)…
彼ら<黒人社会>においては<人種>ということがすべての問題の前提にあるということは自明の理である。ともあれ、人間愛、人類愛に関し疑問を感ずることの多い昨今である。」
真に、当時の(現在も)大人気JAZZプレイヤーとしては勇気ある発言であった。そして、日野さんのJAZZのメンタルな歴史と人生観、日野JAZZの面目躍如である。
JAZZはやはり現代に問題提起するような内容を含んでいなければ今も昔も面白くは無いのだ。
ハバートはこれまでに表面きって社会性を打ち出したことは無かった。しかし、このソンミ虐殺にはよほど腹を据えかねたに違いない。
曲は穐好敏子を思わせるメランコリックなメロディーラインから入るが、ハバート自らの演奏を通して憤懣やるかたない怒りを大いに表出している。
効果的なポエムの使用も、当時としての音楽の抽象性をより具体化しているのも良い。
伝統的なるJAZZ手法を踏襲しながらも正面切って社会・政治を告発するその力強い意思と姿勢にはまさに脱帽である。
伝統的なるJAZZ手法を踏襲しながらも正面切って社会・政治を告発するその力強い意思と姿勢にはまさに脱帽である。
この作品は、JAZZの持つ社会性を明確に打ち出し、JAZZが歴史を糾弾する手段になりえること明らかにした、歴史的作品である。
ちなみに表紙はピカソの「朝鮮の虐殺」である。
曲目リスト
1. Threnody for Sharon Tate(シャロンテートへの哀歌)
2. This Is Combat I Know (戦闘)
3. Crowd (群集)
4. What a Good Time for Kent State
5. Monodrama
6. Black Soldier
7. Interlude
8. And Yet There Could Be Love (愛を忘れず)
9. Postlude
1. Threnody for Sharon Tate(シャロンテートへの哀歌)
2. This Is Combat I Know (戦闘)
3. Crowd (群集)
4. What a Good Time for Kent State
5. Monodrama
6. Black Soldier
7. Interlude
8. And Yet There Could Be Love (愛を忘れず)
9. Postlude