クラクション渦巻く都市・ウランバートル:希望あるモンゴル、希望と民主主義に欠ける日本
新潟駅前で支店の移設セレモニーに立会い、一泊の後、25日8時59分発のMAXときで帰社。30分早く退社して、夜は地元の教育会館でPTAの会合に出席する。
5月1日は目一杯勤務して、2日も出社。
いやはや、会社で11時頃、両太ももに痺れを感じ、酷い腰痛のため、暫し立ち上がれず、歩くのが困難になってしまった。
治療を受けて、シップを貰いゴムのコルセットを巻いてやっと歩くことができ、現在に至る。ハードと言えばハード、モンゴルの人々にすれば、普通と言えば普通の日常ではあるが…(以上、ブログでした。):
また、少し間が空いていればかまわずに馬の鼻面を引き回すように、車の鼻先を詰めていく。渋滞が少しでも緩和したら物凄いスピード狂の世界。
たかだか四五日しか居なかったにも拘らず、まだ耳鳴りのようにクラクションの音が耳から離れない。
クラクションの音はGO!GO!と聴こえた。
歩行者も負けてはいない。老若男女を問わず、まるで車と車の間をすり抜け、疾走し幹線道路を横断していく。まさに、死を賭けたチキン・レースのようだ。
モンゴルの人口は約250万人だが、その半分近く、約100万人以上が首都のウランバートルに居住していると言われる。貨幣価値はドル・円・ウォンの約十分の一。
昨年に公務員の給料が月額100ドルから300ドルに上がったこと、モンゴルの潜在的成長力に中国・韓国・ユーロ・米国、遅ればせながら日本の投資資金が集中を始め、物価的には日本の約五分の一と考えれば間違いが無い。
ウランバートルは現在、商業高層ビル、高級高層マンションの建築ラッシュである。
携帯電話、パソコン等を日常的に使用し白タクを使いまわす都市住民と、伝統的なゲル居住と遊牧生活(太陽電池パネルによる電気の使用、自動車・バイクなどは浸透している)が生活スタイルは異なるといえ、スピードと共に存在し、混在する国である。
一度訪れてみないことにはイメージが沸かないであろう国である。携帯電話、パソコン等を日常的に使用し白タクを使いまわす都市住民と、伝統的なゲル居住と遊牧生活(太陽電池パネルによる電気の使用、自動車・バイクなどは浸透している)が生活スタイルは異なるといえ、スピードと共に存在し、混在する国である。
しかし、一度で虜(とりこ)になる。その若さと、パワーと未来への希望に、である。
先週のコラムには「開発途上、急成長中の国ほどクラクションが多い。皆急いでいる。稼ぐのに忙しい…(中略)クラクションの少なさから判断しても、日本は成熟した先進国になった。デモも希だ。…道路は静かでもいいが、社会、政治に関しては時に警鐘が激しく聞こえるような国であって欲しいと…」。
今週のコラムでは「希望のクラクション」と題して、日本にクラクションが少ないのは、やたらにクラクションを鳴らせば、刺される恐れがある、報復される恐れがある、沸点が低く、みんなキレやすいという指摘を貰ったとして前置きした上で、『(日本は)景気も悪いし所得も増えない。ヘンな事件も多いし政治もひどい。しかし、「それだけではないはずだ」…クラクションに途上国の人がことさらいら立っている風情はない。… ではなぜ日本はクラクション耐性が低くなったのか。実は途上国にこそ希望、展望があるかもしれないとも考えた。それは「心のゆとり」につながる。だとしたら日本でもぜひそれを探したい。ま、その前に日本の政治に強くクラクション!』と書かれていた。まさに伊藤さんが、この間、しばしば訪問されているモンゴルのことを念頭に置かれていることは明白であり、まさに至言である。
日本にはクラクションも希望も無いのである。それにもう一つ欠けているものがある。それは、人々の訴求力、自分の意見をアピールする行動と力、曰く民主主義である。
昨晩のTV番組・「太田総理…」で、大バカで、本当にいつも厭味で、ヤナ奴の代名詞ケビン・クローンが言っていた。「日本には民主主義なんて無い!デモの一つも無い、できない日本人に、民主主義なんてあるものか!」
ホホウ!偶には(たまには)良いことを言うね。ケビン君…、さすが私の後輩だけのことはあるね~?!
ホホウ!偶には(たまには)良いことを言うね。ケビン君…、さすが私の後輩だけのことはあるね~?!