諸行無常~高柳昌行、ペーター・コヴァルト、翠川敬基 / 即興と衝突
水曜日は疲れますね~。毎晩の深酒が祟っています。それでも、10時にはベッドに入り、5時過ぎには起きているのですが…
いい加減、仕事を口実にするのは止めましょうかね。
自分の分、自分の立ち位置をありのままに認め、それを卑下するでも自慢するでもない生き方をすることこそ、心を苦しめない生き方だ、ということです。私の場合とはチト違います。申し訳ありません。
所謂、過去に囚われず、現在の自己を見つめ前だけを見ていくということですね。
高田さんは諸行無常という考え方に大きな影響を受けたと仰っています。
諸行無常とは「すべての現象は無常である」ということです。
「現象」とは何か、ということですが、「現象」でないものは何もありません。
現象とは、その瞬間瞬間の状況を指す言葉であって、「本来の姿」というものでは決してなく、いつでもできて、またいつでも壊れるものです。 現象は瞬時に消えていくものです。
無常とは常ではないこと。変化し消えていくものであると言う事です。
この世のすべてのものは一瞬として同じでなく、常に変化しているということです。「万物流転」と捉えて差し支えないでしょう。
「表出しては掻き消えていく。」という表現が当たっているのではないでしょうか。
高柳ミュージックは諸行無常です。現象を先ず、表出させること、現象が対話をすること、対話をさせるのではなく、対話が勝手に始まり、化学変化を起こし、新しい現象を表出し消え去っていくJAZZです。
JAZZの本質は即興であり衝突なのですから。この音楽はJAZZ以外の何物でもありません。
さて、土日の高柳ミュージック三昧を楽しみにもう少し頑張ります。