人生に哲学を照射する、仏教学者ひろさちや氏の集大成:「のんびり生きて気楽に死のう 」
この間、柄谷行人氏の著作を数冊手元に集めて、挑戦してきましたが、ついに昨晩諦めました。
どうも、柄谷氏の主張には賛成できるのですが、論理構成が頭に入って来ません。
「私のアタマが悪いのだ」、と言うことは大前提ではありますが、余りにも難解です。
私の近しい友人の中に柄谷氏精通者が二人いますが彼らに言わせると、「全く難解ではなく論理が頭にスッキリ入る」とのことです。
私の頭は悪くても、19歳以来、哲学の徒として、いい加減ではありますが、30数年過ごしてきたのですが、何故かゲーデルより、柄谷氏が難解なのです。
カント的な難解さでもないのです。単純に言えば、私と肌合いが合わない、掘り下げて言えば、友人曰く「お前には地政学的素養がない!」。
たぶん、地政学的素養が無い事、それに世界史が弱いと言うことが裂帛的致命傷となっているのでしょう。
哲学は難解であれば良いと言うわけではありません。古代哲学から始まり近世哲学、現代哲学、ましてや数理論理学においても哲学者は平易に自らの論理を語ることに心血を注いできました。
この「のんびり生きて気楽に死のう 」のひろさちや氏が哲学者か否かは置くとして、短い文章に哲学的宗教観(この場合は仏教観)と哲学的倫理観が溢れています。
哲学的倫理観とは並みの人生観や人生訓、処世術や処世観ではありません。
捻って捻って捻って、単純化されるのです。
この哲学的倫理観は照路です。実は照路足りうる倫理学こそ、哲学足りうるのです。
この本は、中学生から90歳のお年寄りまで、気楽に読むことができます。
年末のお忙しい時に、チヨット開いてみてください。