ryukyutokyoのブログ:JAZZと哲学と…

DJ.PANK_kunryu (Dj.薫琉)です。東京ヴェルディと沖縄をこよなく愛する、酔っ払い🥴パンクスです。1955年3月新潟市生れ新潟高校ジョリー・チャップス、上智大探検部出身。40年間勤務した職場を大怪我、肝機能障害、糖尿病、過緊張症で退職しました。現在、アルバイトをしながら療養中です。ゴールデンカップス他GS、freeJAZZ、ムードコーラス歌謡

アーシーJAZZの極点・Archie Shepp:「Blase/Live at the Pan-African Festival」

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そろそろこの二枚のアルバムのことに触れなくてはならない。

 今では、二枚とも手に入りにくくなっているが、この二枚のカップリングアルバムならば、amazonで2週間ほどでロスあたりから買える。

 私は、幸いともカップリングのCD他、二枚の古いLPを持っている。

 何故に、この二枚がカップリングで発売されたのかであるが、この二枚はArchie SheppのアーシーJAZZの二つの極点を示すものだからであろう。

 「Blase」は彼のブルース・サウンドの極点であり、「Live at the Pan-African Festival」は当時の彼のアフリカ回帰思想に基づくブラック・アフリカ・ルーツサウンドの極点であるからである。

 Archie SheppのJAZZの原点はビバップとブルースであることは論を待たない。しかし、一般的な意味のみでビパップとブルースを語っても彼のアーシーJAZZは理解しがたい。

 例えば、沖縄の島唄は四拍子と三拍子の複合リズムで音階はペンタトニック。このことは、日本全国に共通しているものではなく、飽くまで沖縄の独自の文化の上にミュージックルーツとして存在しているのである。

 同じようにSheppのJAZZの原点もビバップとブルースであっても、そこに彼のJAZZの基本をなす、独自の思想背景とミュージックルーツが存在するのである。

 「The World Of Cecil Taylor (Candid)」を1960年に吹き込んで以来、現在に到るまで、彼のJAZZサウンドの原点は変わることがなかった。

 しかし、彼のJAZZとの取り組みはその伝統を重んじ、激しい独学と練習を続ける中で、JAZZミュージックの本来の意味を問い続け、演奏のスタイルとその思想を確実に大きく変化させ続けてきたのである。

 所謂、変容である。

 その初期の演奏に現れているように、彼の独学のお手本はジョン・コルトレーンであった。そして、バド・パウエルである。

 しかし、多くの誤解があるように、彼は決してコルトレーンの後継を目指したのではなかった。彼は、きっぱりとコルトレーンの後継であることを拒否したのであり、後継と言う言葉はコマーシャリズムとしては意味を持つが、彼には何も意味を成さず、独自サウンドの道を目指したのである。

 1962年、Archie Sheppは自らのグループを結成する。
 
 その発端たるtpのBill Dixonとのグループ結成で、彼の独自サウンドへの歩みとその傾向はArchie Shepp-Bill Dixon Quartet (Savoy MG 12178)にはっきり現れる。

 1963年以降、The New York Contemporary Fiveなどの吹き込みでSheppはFREEの頸木と真っ向から勝負しながらも、彼の独自サウンドをより深く突き詰めて行く。バップとFREEとの融合と止揚を体験し実践したのである。

 彼がコルトレーンから影響を受けたスピリチャリズムやジュ・ジュリズムは大きな揺れを彼の考えに与えたが、共演者達との徹底した討論と演奏の中で、かれの思想は研ぎ澄まされて行くのである。

 彼はコルトレーンからテクニックと慈愛・敬愛を学び、受け継いだが、全く違うサウンドを目指した。その後の、政治的な発言とアピール、そして暴力的とも言える音楽での自己表現である。まさに、音楽で解放闘争を支援し、権利闘争を開始したのである。

 それ故に、1965年に数多く吹き込まれたコルトレーンとの競演において、コルトレーンArchie Sheppサウンドの違いが際立っていたのである。

 そこでの演奏はチャーリー・パーカーとの間をコルトレーンを継ぎ橋として、 Archie Sheppの独自サウンドを淡々と、そして伝統に則り莞爾として表出したものであった。

 正に、この期のコルトレーンとの数多くの競演により、コルトレーンサウンドとの決別を果たしたと言っても過言ではない。

 そして、Archie Shepp Octetの結成とMama Too Tight (Impulse A 9134/August 19, 1966) の吹き込みで、新しきArchie Sheppのブルース・サウンドを発表するのである。

 Tommy Turrentine (tp) Grachan Moncur III, Roswell Rudd (tb) Howard Johnson (tu) Perry Robinson (cl) Charlie Haden (b) Beaver Harris (d) というこのメンバーは大きく彼に影響を与え、彼を触発した。

 Archie Sheppは、このメンバーとの邂逅を新たな出発点に、一方でのブルース・ミュージックを開始し、一方でのアフリカ回帰思想にも傾倒を深めていく。

 1967年10月21日の「ワン・フォー・トレーン」Archie Shepp - Live At The Donaueschingen Music Festival (Saba/MPS [G] 15148; MPS/BASF [G] CRM 651, 21 20651-3) は彼のこの期の最高傑作である。

 この演奏はコルトレーンへの大いなる敬意と決別のオマージュを表現したものであった。
 
 と同時に、コンセプトとアンサンブルそしてドラマツルギーに徹底的に拘り、Sheppがコルトレーンを超えた、新鮮で鋭意なサウンドであった。

 ドナウッシュゲンで大きな自信を得た彼は更に、次の地平に大きく踏み出す。

 そして、Archie Sheppが次に目指したものの極点がこの二枚のアルバムに収められているのである。

Archie Shepp・ Live At The Pan-African Festival

:Clifford Thornton (cor) Grachan Moncur III (tb) Archie Shepp (ts) unknown Algerian musicians
'First Pan-African Festival', Algiers, Algeria, July 29, 1969

1. Brotherhood At Ketchaoua
2. We Have Come Back

Archie Shepp -・Blase (BYG [F] 529.318; Affinity [E] AFF 7)
:Lester Bowie (tp -3) Archie Shepp (ts) Chicago Beauchamps, Julio Finn (hca -1,2) Dave Burrell (p -1/4) Malachi Favors (b) Philly Joe Jones (d -1,2,4,5) Jeanne Lee (vo -1/4)
Paris, France, August 16, 1969

1. My Angel
2. Blase
3. There Is A Balm In Gilead
4. Sophisticated Lady
5. Touareg
 
 さて、この話は次回も続けなくてはならないだろう。