ryukyutokyoのブログ:JAZZと哲学と…

DJ.PANK_kunryu (Dj.薫琉)です。東京ヴェルディと沖縄をこよなく愛する、酔っ払い🥴パンクスです。1955年3月新潟市生れ新潟高校ジョリー・チャップス、上智大探検部出身。40年間勤務した職場を大怪我、肝機能障害、糖尿病、過緊張症で退職しました。現在、アルバイトをしながら療養中です。ゴールデンカップス他GS、freeJAZZ、ムードコーラス歌謡

新潟市の古町で「JAZZ批評」の花村圭氏にお会いする。

 
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 今週一週間、殆んど出張でした。
 
 会社や、支店で会社のパソコンを開く以外、PCとは無縁の生活。I・Nやブログから遠ざかってしまいました(正に、ITオンチの面目躍如ですね)。
 
 また、忙しさも重なって、睡眠時間が一日2時間から多くて4時間と…殆んど「ショート・スリーパー」になってしまっています。
 
 まるで、最後の「阿部薫さん」みたい。
 
 ところで、木曜日出張先の新潟市(わが故郷)で友人のN君に連れられて「JAZZ批評」の花村圭氏のお店に行ってまいりました。
 
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 花村さん…いらっしゃいましたよ。1970年代の日本のJAZZ話で大いに盛り上がりました。
 
 花村さんのことは私が語るより、クリスさんの「雨の日にはジャズを聴きながら」
 に、詳しいので、そちらをお読みください。(クリスさんのブログは実に素晴らしいですネ。やはり専門家は違いますね!)
 
 花村さんのお店で、ホント、久々に、我が師匠、故野坂恒如(すけゆき)を語り、阿部薫さんを語り、高柳昌行さんを語りました。
 
 私の最大の弱点は、過去ログに何度も書いていおりますが、チャンスがありながらも、終に阿部薫高柳昌行の、お二人の生の「オト」に触れることが出来なかったことです(後はマイルスとコルトレーンですね~チャンスがありながら…)。
 
 その弱点を克服するべく、なるべく存在する音源を収集し、お聴きできる演者の皆さんには(金井英人先生や灰野敬二さんなど…)お会いをし、生音に接するようにしております。
 
 てな、お話をしていましたら、花村さんが「では、この阿部薫は…?」とお持ちになったのが冒頭の「風に吹かれて」です。
 
 「私、自慢ですが…阿部薫高柳昌行のCD音源は全て漏れなく収集しております。」…しかし、イヤハヤなんとも。
 
 さすが、古希であられる花村先生、収集枚数は20,000枚でございました。
 
 敵いっこありません。私は未だ8,000弱~。私はホントに若輩者でありました。
 
 花村先生。楽しいひと時を、どうも有り難うございました。また、お伺いいたします。
 
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