ryukyutokyoのブログ:JAZZと哲学と…

DJ.PANK_kunryu (Dj.薫琉)です。東京ヴェルディと沖縄をこよなく愛する、酔っ払い🥴パンクスです。1955年3月新潟市生れ新潟高校ジョリー・チャップス、上智大探検部出身。40年間勤務した職場を大怪我、肝機能障害、糖尿病、過緊張症で退職しました。現在、アルバイトをしながら療養中です。ゴールデンカップス他GS、freeJAZZ、ムードコーラス歌謡

驚愕の渠(かれ)の旅に終わりはない。不破大輔:「巴里渋舞曲: 渋さ知らズ」を聴く…!

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旅は…人それぞれである。目的を持って旅に出る人、それぞれ…。

 私にとって旅は、旅先の気温や街角の温度、人々の体温や熱、そしてそよぐ風の風向きに同化する事である。つまりは目的が無い。

 目的がない旅を重ねることが旅の目的である。

 かつて山が好きだった。あの難儀な山に何故いくつもいくつも登ったのか。

 登ることによって恰も、山と自己が同一化できると考えていたからである。

 旅に出ても何もしない。まったく何もしない。ただ、歩き回りそして昼寝をするだけ。

 何回も何回も同じところに旅をする。違和感がなくなるまで同じところに旅をする。居付いてしまえればよいのだが…。それでは旅ではなくなる。

 私にとっての旅は、日常と非日常との同化にすぎない。だから、それが旅だと思っている。

 不破大輔さんは類稀なる音楽家である。正真正銘の音楽家である。そして偉大なる旅人である。

 “ダンドリスト”と称して、“風体の旅団”を率い、日本全国津図浦々、隅々を、そして茫漠として広い世界の国々を旅して回る。

 彼らの糧はJAZZという楽器とダンドリ演奏の布施である。

 彼と彼らは望むべき人々が居ようが居まいと旅をして回る。布施を集めてまた旅を重ねる。布施が集まらねば乞うても旅をする。

 それが彼らの終わりなき旅であるからだ。

 旅とは度である。度々重ねることが旅であり、生きてゆく糧なのだ。

 旅を重ねる度に、その作品は圧倒的な寂寥を背景としながらも、寂寞とした音空間と同化され、巻き込まれた聴衆たちを一体化することで芸術として昇華される。

 「渋さ知らズ」のこれまでの作品はそうであったし、この「巴里渋舞曲」も期待に違わない出来映えである。

 そして彼らはライヴの人々である。時々にメンバーが変化し変遷してもライヴの“風体の旅団”である。その意味では、もっともライヴな「渋さ知らズ」を表現するCDである。(特典のステッカーもDVDも良い…)

 「渋さ知らズ」は楽器という風袋を手に放浪し浮浪し浮遊する旅人の群れである。旅人は変われども不破大輔氏は変わらない。

 偉大なる音楽家で最高のJAZZテクニシャンたる渠(かれ)は彼らを率いて旅をする。ダンドリストは旅をダンドリし、ハーメルンの笛吹きの様に怪しく操るのである。

 渠(かれ)の旅に終わりはない。


:CD (2008/11/16) : 2枚組み
レーベル: インディーズ・メーカー
収録時間: 110 分 ・ASIN: B001HK0EA8


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